見出し画像

甘えたなぼくは美容院が好きだ

美容院が好きだ。いや、もちろん好きなのだけど、厳密に言うと、髪の毛に触れられるのが好きなのだ。

小さい頃、母は泣きじゃくるぼくをぎゅっと力強く、でも優しく抱きしめてくれ、頭をわしわしと撫でてくれた。

ひくひくと嗚咽しながら、泣くのを止められなくなったぼくに、「大丈夫やから、なっ、大丈夫やから」と言い、髪の毛を押さえつけるように撫でてくれた。

大きくなってからも、というとおかしいかもしれないが、母に頭を撫でられたことが二回ある。

一度目は、大阪のミナミにある予備校に通っていた浪人時代。

毎日予備校に行き、朝から夜まで机に向かっているのに、成績は一向に伸びない。

なにかの糸がぷつんと切れたぼくは、「いくら頑張っても、ぼくの頭ではいい大学になんか行けない。あなたが思ってるような大学になんか受からない」といったような文をメモに書き殴り、DやEの判定が並ぶ模試の成績表をリビングの机に残して、部屋に閉じこもった。

母は仕事から帰ってきてそのメモを読んだあと、ぼくの部屋にきて、「けんちゃんが楽しく過ごしてくれたら、それでええんや。いい大学に行かなあかんなんか思ってない」と、泣きながらぼくを抱きしめ、頭を撫でてくれた。

18歳にもなって、母親の胸で鼻水を垂らし、嗚咽している。今思い出すと滑稽で仕方ないけれど、すごく安心したのだ。そしてぼくは生粋の甘えたがりなのだと思う。

就職浪人をして、大学を休学している23歳のときも、ぼくは泣いてばかりいた。大学浪人、就職浪人。どれだけ流浪するんだ、と呆れてしまう気持ちはどうか堪えて続きを聞いてください、お願いします。

編み物講師としてバリバリと働き、家事も完璧にこなす母は本当にすごかった。けれども、疲労は心と体を容赦なく痛めつけていたのだろう。

お腹の張りを訴えて病院へ行くと、末期ガンだと言い渡された。もしかしたら効く薬があるかもしれない、なんとも頼りない可能性にかけた入院生活が始まった。

ぼくは母が大好きなので、毎日なにをするわけでもなく病院に行った。就職浪人をしていたおかげで、そうして母と長い時間をともにできたわけで、運命というのか、なるべくしてぼくは流浪していたのかもなんて思ったりもする。

病室に入ると、母はいつもベッドに横になりながら窓の外をぼんやりと眺めていた。「なに見てるん?」と声をかけると、ゆっくりこちらに顔をやり、「けんちゃん来てくれたん」と笑っていた。あのとき、いったい何を思っていたのだろうか、今でもときどき考える。

入院生活が3ヶ月に差し掛かったあたり、母の体には無数のチューブが繋がれ、口鼻には呼吸器がはめられていた。「明日がやま」というドラマでしか聞かないと思っていた台詞を毎日のように聞かされ、ぼくはそのたび泣いていた。

そして、母が「山の上にいるみたいや」と弱々しい声で息苦しさを訴えたとき、ああ、もうこうして喋れるのは最後かもしれない、なんとなくそう思った。

当直の医者が来るのを待つ間、「大丈夫?」と問うと、「うん、大丈夫やで。けんちゃんは大丈夫か?」と言い、母はぼくの頭をくしゃくしゃと撫でてくれた。ぼくは涙が溢れ出てくるのを必死にこらえて笑顔を作り、母の指が髪に触れるのを感じとることに終始した。

 

大人になり、誰かに髪の毛を触ってもらうことなんて、一切なくなった。「なあ、頭撫でてほしいねん」と、せがむ恋人もいない。そんな甘えを言いたい願望があるという気持ちの悪さゆえ、恋人がいないとも言える。

だから、美容院はぼくにとって唯一、気持ち悪くならず、合法的に髪を触ってもらえる場所なのだ。そしてパサつき細く、他人(ひと)から見ても決して綺麗とは思われないであろう自分の髪が愛おしくて、美しくも感じられる。そんな場所なのだ。

マジでお金ないです。