ヨーロッパで誕生日を過ごす
6月19日は夫の誕生日だった。パリで迎える初めての誕生日、したいことしよう!と凱旋門を登ったり、お気に入りの韓国料理屋でたらふく食べたり、夕焼けの下を散歩したりした。公園のベンチに座っていた時ふと夫が「いい誕生日だった〜」と言い、嬉しくなった一日。
東京に暮らしていた頃、お互いの誕生日はお金を使う一大イベントだった。ディズニーランドに泊まる、香水やアクセサリーを買う、お高いレストランでコースを食べる、など。夫婦でしっかり働いていて余裕があったのはもちろんだけど、そうする以外の方法を知らなかったからだとも思う。
パリにきて、学生の夫&なんちゃって主婦の私になってからは倹約するようになった。誕生日だからといってプレゼントをやみくもに買わず「これだ!」と思える出会いまで待つことを覚えた。(当たり前すぎる?笑)
私はこの春で30歳になったが、誕生日にこれと言って欲しいものがなかった。そのころ原田マハさんの「たゆたえども沈まず」を読んでおり、ゴッホ美術館に行きたかったので、プレゼント代わりにアムステルダムへ旅行をした。パリからアムステルダムは鉄道で3時間、いいディナー1回分くらいの感覚で行けてしまう。ヨーロッパで暮らす何よりのメリット!
ゴッホ美術館で彼の人生をたどる展示の最後は、フィンセントが弟テオに贈った花咲くアーモンドの木の絵だった。弟の子どもの誕生を喜ぶ兄のやさしい気持ちにあふれた穏やかな絵で、ゴッホから連想されるいわゆる狂気的なイメージとはまったく違うものなのだが、そのアーモンドの絵から受け取った印象が強く心に残った。フィンセントは精神的にも経済的にも弟に支えられていた生涯だったので、弟を祝いたくても絵を贈ることしかできなかったのだろうけど、テオはどんな贈り物よりもこの絵を喜んだ気がした。
私はいくつになっても「ああいう大人になりたい」とか、大人=いつかなるもの(まだ違う)と思ってしまうけど、物質的にではなく経験を豊かにしていく歳の重ね方は理想だなと最近気づいた。自分の足で体験したこと、自分の目でみたことを、自分の言葉で話せる大人でありたいし、誰かの人生をかけて生み出された本物にたくさん触れたい。もっと歳を重ねたときに、豊かな経験や感覚が残るように日々を過ごそうと思う。
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