静寂者ジャンヌ 6 自然に、息をするように
アンゲランの一言で、内なる神に目覚めたジャンヌはその夜、一睡もできなかった。
「たましいが火事になって、藁が燃え尽きるようだった」という。
翌朝、ジャンヌは再びアンゲランのもとを訪れた。
また来たのかと、アンゲランは二度驚いた。
ジャンヌは、祈りの指導をしてほしいと、アンゲランに頼んだ。
しかし、アンゲランは躊躇した。
というのも、後でジャンヌの知ったことに、アンゲランは「自分に対する用心から」、一切、女性信者の面倒を見ないと神に誓っていたのだ。
ほんと、フランクな人だね。
逡巡の末、アンゲランはジャンヌの指導を引き受けた。
彼を決心させたのは、イエスのお告げだったという。
「心配しないで彼女の面倒を見なさい。彼女は私の婚約者だ」
というイエスの言葉が聴こえたという。
そんなことをイエスに言われちゃったら、さすがのアンゲランも断れなかっただろう。
*
ジャンヌは、アンゲランの手ほどきを受けて、〈内なる道〉の修道をはじめた。
「修道」というと、どうしても難行苦行、刻苦勉励のイメージがあるが、この道はそういう道ではないので、〈道〉を深めていった、ぐらいにしておこうか。
私にとって、祈りに入るほど簡単なことはありませんでした。数時間は一瞬でしかなくなりました。私は祈らずにはいられませんでした。
「数時間」て、何時間ぐらいだろうか?
アンゲランではないが、後にジャンヌが師事するジャック・ベルト(Jacques Bertot)が、(ちょっと今、見つからないので、あとで見つけたら引用します)毎日「4時間」という数字をあげている。
いっぺんに4時間でなくても、午前、午後に2時間ずつだとか、そんな感じだろうか。
別に座禅を組むわけではなく、不動でいる必要もなく、途中で姿勢を変えてもいいので、身体的には、そんなに大変ではない。
そんなに本格的にやらない場合は、30分程度、とジャンヌは弟子たちに書いている。
晩年のジャンヌが、若いお弟子さんに、こんな手紙を書いている。
このお弟子さん(スコットランドの若者)は、お祈りの姿勢で、跪いた状態のままだと、30分もたないという。
それに答えて:
どうか無理に跪いていないようにしてください。身体を弱めることを無理にすること、精神がしばしばそれに気をとられて、気が散ってしまいます。もし跪いて祈りを始めたのだったら、その後にただ、座ればそれでいいのです。子どもは子どものように生きなければ。大人のようにしようと思わないこと。神は身体の姿勢を求めているのではなく、こころの状態を求めているのです。
子どものように生きる。
ジャンヌのモットーだ。
*
〈沈黙の祈り〉は、まずは、なにはともあれ、神の愛を感じること。神のリアルを実感することだ。
はかりしれなくはてしない無限に抱かれている実感
生きている、生かされているリアルの実感
それは、いたって楽なことだと、ジャンヌは言う。
神を得て、神を味わうことほど楽なことはありません。彼は私たち自身よりも私たちのうちにいるのです。…彼を探し求める方法は、いたって楽で、自然です。私たちの呼吸する空気と同じくらいに自然に求められるのです。
これは、彼女の『手短でとても簡単な祈り方 Moyen court et très facile de faire oraison』という本の一節だ。
このハウツーっぽいタイトルがいい。
この本は、今でいう「ベストセラー本」になった。
空気を息するように、自然に、神を味わえるという。
自然に!
というのがジャンヌらしい。
静寂者の境地は、自然な naturel 境地だ。
自分で、こうしようと努力したり、意識しないで、
知らないうちに、自ずと、そうなっている。
息をするように。
*
でも、「神」を味わうって、
なんだか、食いしん坊みたいだね。
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