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静寂者ジャンヌ 9 抵抗としての瞑想
こころの中に
たましいのシェルターをみつけた
ジャンヌは、
姑と夫に対して
自己防衛できるようになった。
何を言われても、何をされても、すっと、潜心に入れば、平気だった。
でも、そうはいっても、最初のうちは、ふと、潜心が途切れてしまう。
すると、元の木阿弥だった。
やっぱり、二人の虐待に泣いてしまう。
*
そのうち夫と姑は、ジャンヌが妙なことをしているらしいと、感づいた。
〈沈黙の祈り〉を見破った。
それまで二人は、服従としての沈黙をジャンヌに強いてきた。
けれども、ジャンヌの沈黙はそれとは違う質のものだ。
それは抵抗としての沈黙なのだと、二人は気づいたわけだ。
二人は、ジャンヌに祈りを禁じた。
*
二人は、四六時中、ジャンヌが祈っていないかどうか、徹底的に監視した。
ジャンヌが窓辺で編み物をしようとすると、姑がぴったり付いてくる。
ジャンヌが目を瞑らないかどうか、ずっとチェックする。
もし、祈っているところが見つかったら、大変だった。
きびしい仕打ちが待っていた。
数時間も。
ときには、数日間も。
*
それでもジャンヌは、祈り続けた。
たとえば、夫と姑がカード遊びに興じているあいだ、
暖炉の傍に座って、二人に背を向けて、編み物をしているふりをする。
そしてこっそり、潜心に入る。
*
ジャンヌが変な祈りをはじめたと、
夫と姑は、所属している教会の司祭に伝えた。
そんな祈りは教会では認めていないと、
司祭も、〈沈黙の祈り〉をやめさせるよう勧めた。
それで、二人はますます監視を強めた。
*
それでもジャンヌは、祈り続けた。
私の祈りは愛と同じように、絶え間なく続きます。
何も、祈りを止めることが出来ません。
ジャンヌは、孤独な「愛の酔っ払い」だった。
*
*
それにしても、〈沈黙の祈り〉がなぜ、そこまで
自己の尊厳を守る抵抗の拠点となり得たのだろう?
それは単なる現実からの逃避ではない。
何も考えないようにすると、気分が静まるとか、
すっきりリフレッシュする、
といった表現でも説明しきれない。
もう少し踏み込んで、考えてみたい。
(できれば次回に)
*写真は、あずさ33号の車窓から。