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静寂者ジャンヌ 17 私の骨は、孤独と隔絶を呼吸するだけ。


これまで


前回を整理しよう・・・

ジャンヌは、〈夜〉のパッセージに入り、
精神的に弱っていたところを
モラハラ某氏につけこまれ、
自己の人格的尊厳をずたずたにされてしまった。

そして、精神的に支配され、
「彼の意見を聞かなければならないように」
コントロールされてしまった。

しかし、
「私自身の最も親密な内奥の何かが、
 自分を変えるなと責めているよう」だった。

つまり、自分自身の奥底で、
「これは違う!」
という、抵抗の叫びが聞こえていた。

そういう精神的に引き裂かれた状態に、ジャンヌは陥った。

さらにモラ男氏は、ジャンヌをつねに責める一方で、
時には、彼女を誉めた。

こういうモラ男的な反復のパターンに、
ジャンヌはすっかり巻き込まれ、
別れられなくなっていた。


新たな師ジャック・ベルト


ところでジャンヌは、グランジェ亡き後、
ジャック・ベルト(Jacques Bertot 1620-1681)
という聖職者に師事していた。

生前にグランジェが、二人を引き合わせていた。

自分の死を見据えて、グランジェは、
ジャンヌのために道筋を作っておきたかったのだろう。

ベルトはモンマルトルの女子ベネディクト会の霊的指導者だった。
前に触れたが(静寂者ジャンヌ14)、フランス神秘家界の拠点の一つとなった修道院だ。
その縁でベルトは、グランジェのいたモンタルジの女子ベネディクト会とも関係があった。

ベルトは、知る人ぞ知る、
当時のフランス神秘家界の
「エルミタージュ」系と呼ばれるグループの、
鍵となる人物だった。

この「エルミタージュ」グループの
個性的な面々については、
近く、まとめて紹介しよう。



モラ某氏のことで困ったジャンヌは、ことの次第をベルトに相談した。

しかし、どうやらこの神父さま、
男女の機微には、あまり精通していなかったのではないか。

ジャンヌの悩みに、全然ぴんと来なかったらしい。

「おまえが悪い」で片付けてしまったらしいのだ。

やっぱり、こういう時は、男性では無理なのだろう。
結局、ベルトも某氏も同じ側にいるのだ。
本人が意識していなくとも。

かえすがえすも、グランジェがいなくなったのは、ジャンヌにとって痛手だった。

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瞑想不能


すっかり自信喪失したジャンヌは、瞑想もできなくなった。

ジャンヌは、たまにパリに行って
ベルトのもとで、リトリートに参加していた。
しかし、さっぱり瞑想に集中できなくなった。

そんなジャンヌに、ベルトはかなりきついことを言った。

「これじゃ、どうしようもない。
 マザー・グランジェは見る目がなかったんじゃないか」

などと、辛辣なことを、みんなの前で言ったという。
ずけずけ物を言うタイプだったらしい。

しかし、この発言は逆に、
ジャンヌがいかにリトリート仲間のなかで
有望視されていたかの証左でもある。
そうした周囲の期待は、ジャンヌ自身もしっかり感じていただろう。

ジャンヌは、祈りの天分に恵まれ、
言ってみれば〈道〉のエリート・コースを歩んでいた。
それが彼女の密かな慢心にもなっていたはずだ。
それもまた、打ち砕かれなければならなかった。

そのために、ベルトはわざと
ジャンヌに、きついことを言っのではないか・・・
そう、推測されている。

他の者もそれにあわせていたふしがある。


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自我ほどき

〈夜〉のパッセージは
自我が徹底的にほどけるプロセスだ。

自我を落とすと言っても、
自分で自覚できる範囲だったら、
たかが知れている。

自分では自覚しようもない、
潜在意識の底の底までこびりついた自我が
洗い落とされなければならない。
それは、自分ではどうにもできない。

試練の嵐のなかで、
自分の無力を錨にして、
ただ、凛然と立ちすくむしかないのだろう。

〈愛〉に信をおいて。

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誹謗中傷


ベルトも、ある時点から事の次第を理解したらしい。

某氏と別れたほうがいいと、ジャンヌにアドバイスするようになった。

それを受けて、ジャンヌは思い切って、一方的に二人の関係を絶った。
某氏と出会ってから二年以上が経っていた。

これは、必要な決断だったろう。

しかし、こうしたモラ男と完全に断交するには、
周りのサポートが欠かせないだろう。

ジャンヌは、そういう環境にいなかった。


某氏は、粘着質なストーカー・タイプだった。
ジャンヌに断交されると、
執拗にジャンヌにまとわりつき、
彼女の誹謗中傷を始めた。

典型的なパターンだろう。

いかにジャンヌがだらしなくて
ふしだらな悪徳の女であるか、
某氏は町中に吹聴して回った。

わざわざジャンヌの姑のところまで行って、
デマを言いふらした。

こういう時に、世間は、
それなりの社会的なポジションにある男性の声を聞くもので、
後ろ盾のない若い未亡人の声に耳を傾ける者は、ほぼ、いない。

それに、誹謗中傷は、言った者勝ちなところがある。

某氏の執拗で徹底的な人格攻撃が続き、
それまで彼女と親しかった者の多くが、
彼女のもとから離れて行った。

彼女の評判は地に落ちた。

狭い町のことだから、
彼女は普通に外出することすらできなくなっただろう。

あらゆる支えを失う

ジャンヌは、こう手記に書いている。

かくも奇妙に、私はあらゆる支えも頼りも剥ぎ取られてしまいました。
外側も内側も。
それを描写する事も、うまく理解してもらう事も、難しいでしょう。

あらゆる支えを剥ぎ取られてしまう — 
外的にも、支えになってくれるような、頼れる相談相手がいない。
内的にも、〈夜〉の状態にどんどん沈み込んでしまって、
自分で自分が分からなくなってしまう。

「これなら大丈夫だ」とか、
「これじゃ、ダメだ」といった
自分自身の判断基準となる指標さえ、
一切なくなってしまう。

精神の方向感覚が麻痺してしまう。
だから自分の立ち位置を確認できない。

星ひとつない暗夜の彷徨だ。

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孤立無援の中でジャンヌは、
すべて自分が悪いのだと
自分を責めてしまう。

おのれの身体を厳しく痛めつける
宗教的な「苦行」をするようになる。

夜はベッドではなく、床に臥して、泣き叫んだという。

「神よ、私を地獄に落としてください」


師のベルトは、彼女の苦行に反対したという。
例によって、つっけんどんに、
「おまえには無理だ」といった表現をしたらしい。

ジャンヌは「彼は私の置かれた状態を分かっていなかった」と、
自伝でベルトに対して反感を示している。

しかしこれは、適切なアドバイスだった。

こういう時、自分を責めるべきではない。


もう、救済に関心がない


〈夜〉の底へと落ちていく・・・

その実感を、当時のジャンヌはこんなふうに、手記に書いている。

たましいは、すっかり見捨てられた状態にある。
その終わりは絶望しかなく、
絶望によってしか、ながらえない。

自分の存在、自分の生、
たましいも、身体も、
呪うばかりだ。


ジャンヌは〈内なる道〉を、断念しそうになる。

自分は最終的な境地まで到達できない。
そうとしか見えない。
ますます苦悶は大きい。
ああ、道はなんと厳しく難しいものか。


ジャンヌは、完全な〈たましいの無力〉に陥った。

たましいは無力だ。
後ろを振り返ることもできない。
至るところ、絶望と災い。
それに身を委ねるしかない!
 自分の救済について、
もう、どんな説明も聞くことができなくなってしまった。

自分の救済について、もう、どんな説明も聞くことができなくなった・・・
自分には、もう、無縁なのだ。

絶望者の、嘘いつわりない実情だろう。

「自分の救済について、もはや求めることができなくなる」
この心境は、
ジャンヌのライト・モチーフとなる。

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静寂者の道は万人のものではない


自分は救われない。
それを受け入れたうえで、
なおかつ
どうやって生き続けるのか?
生き続けられないのか?

この問いは、
絶望の底を経験したことがなければ、
無用な問いだろう。

静寂者の道は、万人に開かれているけれど、
万人が必要とするものではないのだろう。



自分の救済について関心がなくなる・・・

このジャンヌの真摯な述懐は、
後に教会権力から糾弾されることになる。

宗教的な救済に関心がなくなったら、教会は要らなくなってしまいかねない。


さらにこの問題は、近代的な主体の問題にからんでいる。

人間は自律した主体として、
自分の救済を願い、
たえず自己の向上を求めて、
競争社会のなかで、
能動的に
よりよい仕事をしなければならない・・・

それが近代的な主体のあり方だとすれば、

静寂者ジャンヌの「救済への無関心」、
「自己の断念」、
そのベースにある徹底した「受動性」は、
そうした主体のあり方とは、まったく異質だ。

この問題は静寂者を考える上で、ポイントになる。
また改めて、触れよう。


神か悪魔か、私には関心がない


手記の続きを読もう。

もし、このたましいが
神のものか悪魔のものかと問われたら、
何もわからないとしか答えられない。
私には全く関心がない。
私の関わりごとではない。

自分が神のものか悪魔のものか、分からないし、関心がないという。
これまた、手記とはいえ、当時のキリスト教信者にしたら大胆な表現だ。

ジャンヌは、悪魔だとか地獄だとか、
まともに信じていないようなところがある。

彼女にとって、あくまでもメタファーなのだ。

だいたいジャンヌは、あの世についても関心がない。

彼女の関心は、いつも、〈いま・ここ〉だ。



このたましいが
神のものか悪魔のものか、
それは、
「私の関わりごとではない」という。

私には関係ないという。

絶望の底で、自分を突き放している。
絶望する自分を、別の自分が、冷静に観察している。
そんな感じがある。

ジャンヌにとって、
この「つきはなし」が、大切だった。

持ちこたえるために。
生き延びるために。
状況を突き破るために。


          * * *


どん底のなかで、ジャンヌは、
こんな詩的な断片を書き記している。

私の骨は、孤独と隔絶を呼吸するだけ。

ひっそりと
海の底に捨てられた
骨のように
すべてから隔絶され
独り、闇に呼吸する。


思えば結婚以来、ジャンヌの青春は、
この孤独の極北をひた走る青春だった。


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