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パリとアムステルダム、歴史と芸術の旅。【アムステルダム前編】

続けちゃう!

ロンドンへ帰る従姉妹たちを見送った次の日、ぼくらはアムステルダムへ行くために、駅に向かった。タクシーの運転手に「Gare du Nord(パリ北駅)」と伝えたのだけど、また別の「Gare du Lyon(リヨン駅)」と聞き違えられてしまったことで電車に乗り遅れた。しかも2時間ごとにしか高速列車は出ていないので、おばあちゃんはプンスカ状態。

そうは言っても、どうにもしようがないので、パリ北駅の目の前にあるカフェで一息つきながらのんびりと過ごすことに。

カフェでは様々な言語が聞こえてくる。ぼくたちは英語で会話をしているけれど、おばあちゃんは店員さんにフランス語を話す。後ろの席からは、アラビア語のような発音が聞こえてくるし、少し離れたところからは中国語が、同じくらいの距離からまた別の英語も聞こえる。

彼らはどんなことを話しているのだろう?昨日あったこと、それとも友達の話?次はどこへいこうかと相談でもしているのだろうか。とかなんとか、想像を巡らせながらショコラを飲んだ。トレビアン。

高速列車のチケットを買いなおそうとすると、残念ながら一等車しかなかった。食事がつく分高くなるけど、まあこれもしょうがないかということで、存分にいただく。

スパイシーチキンのサラダと、ブラウンブレッド、小さなデザート。どれもこれもあったかくはなかったのだけども、良い味付けで美味しかった。チキンはクリームソースと野菜の存在で心地よい刺激だったし、ブラウンブレッドの程よい甘みは、「程よい〜!!!」としか言えない。

なによりケーキが最高だった。

ベルギーのブリュッセルなどを経由しつつ、アムステルダム中央駅に到着。ホテルに荷物を置いて、一息ついた頃には、綺麗な夕焼けが見れそうな夕暮れ時だったので、運河クルージングでぐるりと街を見てみることに。

アムステルダムの家はこんな造りが基本になっている。この街は16世紀末、八十年戦争の最中に、アントワープというところにいた商人たちが次々と移住してきたことで商人の街になっていったという。黄金時代と呼ばれる17世紀には住民は爆増していたそうだ。

そのうちに舟の上で生活する人が現れるようになり、それも生活スタイルのひとつになった。

これはアムステルダム西教会。アンネ・フランクの家のすぐそばにある。アンネは隠し部屋で、いつ捕まるともしれぬ不安の中、この教会の鐘の音を聴きながら息を潜めて生きていた。食事などは、家族の友人が命がけで運んでくれたと聞く。想像もつかない、凄まじい生活だ。

ここは彼女たちが、必死に、なんとか生きようとした土地でもあった。

舟はぐんぐん進んでゆく。窓を開けて写真を撮りまくっていると、ひとりの女の子が「Hi!! Haha!」と陽気に写ろうとしてきたので、もちろん撮った。

シャッタースピードを上げるのを忘れててブレまくったけど、彼女のチャーミングさは伝わる。

世界遺産にも入っているアムステルダムの運河。クルージングは、とっても見応えのあるものになった。全旅行者にススメたい。ちょうど終わる頃という完璧なタイミングで日が沈んだので、余計にススメたい。

写真映えしまくりである。

その夜は街のはずれにある、Hemelse Modderというレストランにいった。オランダ名物のコロッケ、デザートのレモンタルトが美味すぎて、驚愕。

色合いが違う写真は携帯で撮ったもので、フィルム風に仕上げている。カメラはSIGMAのdp2quattroというものなのだけど、暗いところには向いていないのだ。

食事も済んだころ、またまたワインを飲みながら、おばあちゃんはこんな話をしてくれた。

昔、おじいちゃんが会社勤めをしていたころのこと。初耳だったのだけど、おじいちゃんはポルシェに乗っていたそうだ。そして、そのポルシェに乗って、ふたりはヨーロッパをぐるりと旅してまわったのだという。

パリから出発し、ベルギーのブリュッセル、そしてオランダのアムステルダム。その後はドイツに入った。ポルシェが生まれた国だ。そこで、おじいちゃんは仕事のミーティングかなにかに出向いたのだとか。

なんと素晴らしい思い出か。カッコよすぎるでしょうに。ぼくはふたりの、そういう人生の楽しみ方が大好きだ。

おじいちゃんは、旅と芸術とジョークが大好きだった。少し強引で勝手なところもあったけれど、いつでも笑顔で楽しそうだった。ぼくが旅した場所の話をすると、必ずと言っていいほど、おじいちゃんも、その場所におばあちゃんとの思い出があった。ほんとうに素敵な夫婦だったと思う。

おばあちゃんは目に涙を浮かべてはいたものの、笑いながら話してくれた。

ものすごく当たり前だけど、人はほんとうに死ぬ。時として、何も言えない間に、いなくなる。いつかは来るとわかっていても、たいてい、死は突然だ。

だからこそぼくは、多少の無理をしてでも今回の旅に出たのだ。数少ない、一緒に過ごす時間を増やすため。もちろん、久々にヨーロッパの街を見たかった自分のためでもある。

時間は、できるだけたくさん、そういう風に過ごすのがいちばんだと思う。生活するうえで最も大切なのは、気持ちの良い人間関係と余暇なのだから。

仕事をすることも同じなんじゃないかな。いわゆる平日と休日が、分断されているようで連続している状態。生きるように働く、ということ。

そんなことを感じながら、アムステルダム初日の夜は更けていった。

後編では、ゴッホ美術館と国立美術館、ユトレヒト〜帰国までを綴るぞ!

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ケンワタナベ
ものっそい喜びます。より一層身を引きしめて毎日をエンジョイします。