『還暦前の家庭教師』
私の年齢は満59歳。職業「家庭教師」。所属する会社や団体はなく完全なる自営業。今までにこうした組織に所属したことはない。一人で稼げる売り上げなんて高が知れているし、これといった仕入れもないので、申告は白色。専従者として妻を挙げて青色にしても良いのだが、そうすれば払う税金が無くなってしまうので、白色にしているのは国民としての良心からである。もうかれこれ、こういう形で仕事をしてきて25年を超した。
「家庭教師が人生の目標でした!」、などと言うつもりはないし、そんな言葉を信じる人も居ないと思う。「仕方なく始めた」、と言った方が正解だ。もっと言うなら、大学生の時に始めた塾のアルバイトが延々と続いている、と言っても過言でない。大学卒業後も定職に就かないまま教育産業を渡り歩いているうちに、気がつけば家庭教師専業になっていた。
こんな書き方をすれば、過去にも今でも、私に教わった子供達に失礼だ、とお叱りを受けそうだが、子供達にはある程度自分の事情を話すようにしている。仕方なく家庭教師をやっている、という言葉に顔を顰めてくれる純粋な子供も居るけど、たいていはそんなことだろうと笑って聞き流してくれる。
子供達には、「俺って永遠のフリーターなんよ」、って自虐的に言うのが鉄板のネタになってる。
それにしても今更ながら、こんなに長く家庭教師をするとは思いもしなかった。いや、家庭教師を続けられるとは思えなかった。当然どこかで破綻して、自分の生活をリセットしなきゃならなくなるだろうなってずっと思ってきたし、そういう腹の括り方はしてきた。まず、家庭教師を始めた当初から一貫して思い続けているのが、「子供自体が、そんな歳とったおっさんから勉強を教わりたくないやろ」ってこと。私が30代の時には、50代の自分を想像して、見た目に衰えた自分は子供達に受け容れられるはずがない、と思っていた。見た目もそうだが、考え方の違いが生じるだろうし、そもそもこちらが子供達に対して同情共感できるかすら自信が持てなかった。これは40代になっても消えず、ますます気掛かりの種になっていった。絶対にいつかタイムリミットが来て、一瞬で仕事が吹っ飛ぶ、という不安は日々大きくなっていった。
ありきたりな言い方だが、私は周囲の人に恵まれてずっと数珠つなぎに仕事が舞い込んできた。40代も50代も「おかげさま」でずっと馬車馬のように働いてきた。難しい案件も、苦しさよりもそれを克服することに喜びを見い出していたし、どうしても上手くいかないことがあったり失敗に終わるようなことがあっても、殊更仕事の痛手にはならなかった。常々タイムリミットの不安はつきまとってはいたのだが、日々の忙しさがその不安を忘れさせてくれていた。時間に扉というのがあるならば、時を経る毎にその扉が開き、その開いた扉の向こうにまだ開かれるのを待っている扉が存在していることにホッと胸をなで下ろす、そんな気持ちの繰り返しなのである。
「今年は何かが違う」
夏頃からここしばらく、そういう思いに取り憑かれて仕方がない。
具体的な話をすると、今年は中途で家庭教師を辞めるという生徒が3人出ている。中途で家庭教師を辞める生徒はいないわけではないが、3月とか学年終わりに辞めるケースが殆どで、それすら稀なケースだ。生徒が合格、卒業といった区切りとなるタイミングで私自身もお役御免になることが通常のケースなのだ。
また、例年通りなら、家庭教師の空きを待って貰っているご依頼主もいるから、学期の途中に辞める生徒が出ても仕事に穴を開けることなくスムーズに移行できる。しかし、今年は空き待ちの人が居ない。
同じ学年の子供を多く見たりすると、一気に卒業生が出て新学期に人集めが大変になる。これはこれでありがちな不安材料だが、卒業生が多く出ることは合格者が多数出るわけだから、結局は次の仕事に繋がる。今の状況は次に繋がるべくもなく、ただただ胸がざわめいている。
コロナ時代を約3年間だとすると、私の年齢では55歳から57歳に跨がる。現実問題、仕事の数がその頃から微減してきたのは確かだ。自分としては安直にコロナの所為にはしたくなかった。それでも、以前は、「酒席にも沢山呼んで貰って仕事に繋がってきたよなぁ」、とか、「気軽に呼び出されて教育相談なんかも出来なくなったよなぁ」、などと何やかんや託けていたところはある。いや、どちらかと言うと愚痴の材料にしていたきらいもある。本当は、ずっと恐れてきたタイムリミットが迫ってきてることをひしひし感じているにもかかわらず、である。
つい先日、NHKで『山田太一からの手紙』と題されたドキュメンタリーを観た。山田太一氏は著名な脚本家で、知っている方も多くいらっしゃるでしょう。私は、彼の書いたテレビドラマを幼少時から数多く観てきて、彼に触発されたことも多く、山田氏は私自身の価値観形成に大きな影響を与えた人物だ。番組は、既に鬼籍に入られた山田氏が残した書簡を追うドキュメンタリーだった。
番組内で紹介された山田氏の手紙に、50代を迎えた山田氏が仕事への苦悩を吐露する一節があった。その中には、単純に仕事が減ってきたことを嘆いたり、時代と共に移ろう仕事相手との関係の変化に悩んだり、自分自身の仕事への熱情の衰えを危惧していたり、するものがあった。
私は観ていて、ハッとさせられた。
自分の心情に非常に近い思いを、あの山田太一もしていたのか!
もちろん、山田太一氏と自分を並べるには器も能力も違いすぎる。決して同レベルで考えることはしない。ただ、彼の手紙には、山田太一個人というよりも、彼の達観から50代の人間の普遍性が言語化されていたのではないか、と思い至る。
50代になれば、仕事が減るのも、人間関係が変わるのも、エネルギーが衰えるのも、当たり前。
こんな理屈言われなくとも分かっている。だからこそ、ずっと加齢に対する恐れを抱き続けてきた。ただ、理屈には腑に落ちる瞬間が必要だ。私にとって、その瞬間がこのドキュメンタリーを観たときだったと思う。
確かに、「腑に落ちきった」かどうかはいささか心許ない。では、そこが分かって好転策はどうすれば?、となる。しかし、少なくとも「好転策」を考えようとする愚の存在には気付かされた。そういう心境こそが50代の流れを無視したものであり、まだまだ仕事がこなせて人間関係も維持しつつ、何よりもエネルギーが溢れる人間の発想なのだ。今やるべき事は、実年齢を従容すること。この実年齢の自分自身にきちんと向き合い、そして自分自身が何者であるのか、を見極めること、だと思う。
気持ちのざわめきは、哀しみや寂しさ、時に怒り、などを招き込む。当たり前なことだけど、ネガティブな心境で日々の時間を送ることでポジティブな結果は得られない。「不安がるのもほどほどに」、ということが今のところの解決策だ。
そのうち、また誰かが自分を頼ってくれることもあるでしょう。
なんてね。
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