石田月美さん『まだうまく眠れない』を読み、息をするのが楽になった。
とにかく「人間関係」というのが苦手だ。向いてない。それなのに人が好きだから困る。
石田月美『まだ、うまく眠れない』(文藝春秋)「グルーミング」より
わたしもそうかも !
(そう思わせてくれる本を読んだ)
小山田さんの騒動を経た 2023年2月27日、
『小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか』(集英社新書) を出版された片岡大右さんのイベントがあると知り、ツイッターで小山田さん擁護を展開されたブロガーの kobeni さんも出演されるとも知り、下北沢にある 本屋B&B に足を運んだ。
そこに石田月美さんはいた。
聞かれれば、話す。よく考え、観客一人ひとりに眼差しを向け、言葉に思いを宿して伝えようとする。初めてお目にかかる石田月美さんはそんな存在感だった。異彩を放ってた。
そして今年もまた、片岡大右さんに小川公代さん、そして石田月美さんが出るイベントがあると知り、行きたい~ 行く ! ってなり、週末を楽しみに心を殺し続けた。
ところが前日に娘から連絡が入り、大切な用事 (人生の) ができたので、今回はパス。っていったんは諦めたんだけれども、待ち合わせ指定の池袋はこちらの都合を考えて?と思い当たり、今日の動きを聞いてみると「下北沢で物件探し」。あ、だったらそっち行くわ。
2024年 5月25日、午後3時。娘と落ち合い、大切な時間を過ごした。お腹も減り、行列が続く珉亭を通り過ぎ、美味しいスープカレーを食べ「下北の古着、途上国みたくなってるね」とかお喋りしながらスタート時刻が近づくB&Bに急いだ (「ケア」に興味があるという娘と一緒に参加できることになった )
石田月美さん、炸裂してた⚡️ (サブカル魂)
終演後、わたしは片岡先生にツイッターでのお詫びをしたり(やらかしそうなことあって😂)、小川公代さんの本にサインしていただいた。『ウツ婚』がいい ! という娘は石田月美さんに会い、後で何話したの?と聞くと(本編で触れていた)「○○という映画の話をした」。
○○という映画もその場で忘れたし、石田月美さんが激推しされてて買い揃えた『ダーウィン事変』(漫画) もまだ読んでない。
そんなわたしでも、石田月美さんの新刊が出ると聞けば、それは絶対に読みたいなぁってソッコー予約した。
その前の週、5月19日 日曜日、
文学フリマというのに初めて出掛けた際に、
「作り手が『自らが≪文学≫と信じるもの』を自らの手で販売する」
という趣旨を目にして、
自らが文学と信じるもの、とは ?
出展するわけでもないのに考えてみた。
( 自分への、いい質問になった )
ツイッター(X)で、前からすごく気になってる人がいる。その方は「毎日を真摯に生きる紳士」を自称されていて、日々の仕事や生活のこと、テレビドラマのこと、たまに音楽のことなんかをつぶやくどっかの企業の中間管理職らしいんだけれど、何回かに一回、必ず引きこもりのことを「穀潰し」と言ってディスるわけ (それにはほとんどいいねがつかないんだけれど意にも介せず繰り返す)
あるいは、中原一歩さんの『小山田圭吾 『炎上』の嘘』(文藝春秋) が発売されたこともあって久々に 小山田さんの件を追っていたら…
https://x.com/redwing2014/status/1818276051489017880?t=EkXdV4imSD0aFUXjA_B5Gg&s=19
好きなミュージシャン、中島みゆき、竹原ピストル、佐野元春、浜田省吾。腐敗したこの世、卑怯と闘う…( 何でそうなる!? ) そんなプロフィールを見たときに感じる、絶望の果ての唯一の可能性。
それとか、
「人の関係なんて幻のようなものだ」
ですよね。
わたしにとっての文学は、例えばそういうものかなぁ(人の褌で相撲を取るようで🙇♀️)
理不尽な暴力を受けた記憶は、いつまでも夢に出た。そして夢の中で僕はそいつを、完膚なきまで叩きのめしていた。
小山田圭吾は完全無罪といって迷惑がられたのは、他でもないそんなわたしだけれど。
先週、中原一歩さんが荻上チキさんのラジオに出ていて、残業で遅くなった帰りのクルマで聴くことができた。
自他ともに認める (ってなってる) 過去の過ちにしても「皆よく思い出してみて欲しいがが、修学旅行で誰が同室だったか顔すらよく覚えていない、どこに泊まっていたのか、そういうことすら記憶のない…そんなウロ覚えな頃の話で」みたいなことを言ってたけれど、「やったこと」ってそういうレベルの話じゃないですか。
小山田さんはそんなことまで謝った。言い訳もせず、人のせいにもせずに。
ただそのことでみんなのトラウマが、連想ゲームが、それに引きずられてしまっている。
小山田圭吾はロック、パンク、ネオアコ…そういうものの精神を貫いた。今のわたしはそう思っている ( ココ、石田さんの話とは別ね )
石田月美さんは『まだ、うまく眠れない』の中で、自分がまだ障害者であるなんて思っていなかった小学生の頃、家族ぐるみで仲良くしていた障害のある子が、後ろの席から頭を足で小突かれていたのを見て、その(体躯の良いお金持ちのワガママ)お坊ちゃんに憤慨してドロップキックを思い切り喰らわせ…た。
とある女性 (に関わる自分) の複雑な内面史を綴る章の中で、そんなエピソードを思い返しつつ、その「正しさ」すらも「欺瞞に満ちた優しさ」「自らの差別意識」「特権意識」に基づいていたと振り返り、内省する (『優生思想』P81 参照)
いちいちが、そういう複雑なものじゃないですか。いちいちの出来事は、その本当を知りたいなら、自他の心や体といった環境、状況の、そうした細部に入り込んで行かなきゃで、そんな精神の格闘を経てやっと、真実という多面体の、どこか妥当なところを府に落とすことができる、ようなもの。
語るようにリズミカルに、気持ちよく読めてしまう文章の背後に、石田さんならではと思える知性から導きだされた「大事なこと」はまさに天啓で、そこかしこに満ち溢れている (正に自伝文学だ)
昨年お父様が亡くなり、お母様も入院してしまった先輩と磯丸水産で飲んでいるとき『ウツ婚』の受け売りで「結婚とはセーフティネットなんですよ!」とブッていたら、隣で飲んでた女子グループのドン引き視線に気づいた ( が、遅かった )
『ウツ婚』は確かに面白い。
でも、それで終わらないだろうとも思った。
どう考えても続きがある話だった。
彼、彼女たちはただその時代にその社会で親になっただけの人物であり、良かれと思って余計なことしかしなかったありがちな人類の一員なのであり、その延長線上に自分がいた(『両親』P45 より )
オープンクエスチョン、すなわち答えのない問いを書き続ける物書きの私は端的に言ってそんな息子が物足りなかった。そもそも検査を受けさせたのだって、私の偏見に満ちた『豊かな会話』とやらが彼と出来ていないと思い込んでいたからだ (『息子』P167 より )
すでにそこにある、自分が未経験ゆえ理解できぬままにいた現象や、それに纏わる思い込み ( それは固定化され大衆化されていたりする ) は、作家が全身全霊で紡ぎ出す思考の助けを借りることで、他ならぬ自分の思考により解体し、再構築することができる。それは皆へ開かれる可能性。すなわち希望、だ。
考える、考えて書き表さないことには、まずは自分が生き苦しい、そういう人が作家なのだろう。文章が、石田月美さんの呼吸に感じられた。
それを読むわたし、も、
つかえてた息が、楽になる。
けれども、そんな生易しいものではなく。
ご本人は「体を切り刻むような感触」で「息を切らして」書かれた。
生きるための遺書みたいなものかもしれない (そんな切実さが迫ってくる『仕事』~『エピローグ』は白眉だし、この本、まずはフェミニズム部門で1位を獲ることになるわけだし)
これを伝え終わるまでは死にたくないなぁとわたしなんかですら思うときがある。
石田月美さん、この本が無事に出版されてどれだけ嬉しかっただろう。
心からおめでとうございます、と言いたい。
大事なことはすべて書いた、とある。泣く。
石田月美さんのこと、まだ何も知らない。