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noteを2ヶ月書き続けたいま、少し賢くなった気がしている。

このnoteを開設し文章を書き始めて2ヶ月、20記事ほど書いた。

なぜ急に書き始めたかというと、新しいことを始めてみたかったから。
僕は社会人5年目になったのだが、新たな刺激がなかなか得られず、漠然と人生を生きていることに焦りを感じていたのだ。

そして実際に2ヶ月やってみた感想としては、

とても良かった。賢くなった気がする。

仕事でも何にでもあてはまるが、アウトプットはやはり大事だなと、文章を書くことで改めて実感した。

ではなぜ、文章を書くことで「とても良かった、賢くなった」と感じたのか。
僕なりのメリットを3つ、文章で書いてみる。

"わかったつもり”からの脱却

何かを教わったり勉強したとき、なんとなく"わかったつもり”になっていないだろうか?

時間があれば、ぜひその理解を文章に書き起こしてみてほしい。

手が止まることなくスラスラと書くことが出来れば、恐らく理解できているので問題ない。
しかし、いつもそのようにはいかないはずだ。僕も手が止まることが何度もある。そして、その時初めて「結局なんだっけ?」と理解が浅いことに気付く。

このように、文章を書くことが自身の理解度を測るものさしになり、"わかったつもり”を防ぐことができる。

ボキャブラリーの増加

例えば、下の写真は僕が大好きな二郎系ラーメン。

文章を書く前なら「麺めちゃ太くてうめ〜、チャーシュー分厚くうめ〜、背徳感やべ〜」といった感想に終始していただろう。一緒に食べに行った友人と分かち合う程度なのでこれでも全く問題はない。

ただ、文章にする、取り分けnoteに書くとなるとどうだろうか?
このラーメンを食べていないがほとんどな状況で、上の感想では決して美味しさは伝わらない。

クタクタに茹でられたキャベツともやしはしっかり味が染み込んでいて、ホワホワのチャーシューは噛まずに食べられるほど柔らかかった。奥から覗く玉子色のちぢれ麺からは小麦の香りが立ち込め、具材とのハーモニーに箸が止まらなかった。

まだまだ伸びしろしかないが、少なくとも前者よりは食欲をそそれたのではないだろうか。

文章を書くことでボキャブラリーのなさに対処しないといけなくなり、日頃から良い言い回しはメモをするようになった。
この積み重ねでボキャブラリーが増え、知性のある人間になれると信じている。

こんな素敵なフレーズを、いつかは書けるようになりたい

頭の中の整理

1つ目と少し似ているが、文章を書くためには大きく以下のステップを踏む必要がある。

  1. 事柄を頭の中で理解する

  2. 理解したことを書き出す

  3. 書き出した文字を整え文章にする

文章を書くことで初めてステップ2と3が発生する。そしてこのステップを踏むことで、整理された情報として頭の中に蓄積される。
「言語化が大事」とさまざまな場面で言われるが、実際に文章として書くことはまさしく"言語化”である。


3つのメリットを書いたが、文章を書くことは要するに

対象を言語化しアウトプットする。そしてそのアウトプットに適した言葉をインプットする。

このアウトプットとインプットの繰り返しだ。
そして続けることが自身の成長につながると信じて僕はこれからも書き続ける。

漠然と賢くなりたいと思っているあなた、思考を整理したいあなた、一度文章を書いてみてはいかがでしょう?

P.S 二郎系ラーメンが食べたくなったあなたには、ぜひ↓のnoteも読んでほしい。


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