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ホームステイ(後編)

ごきげんよう。

昨日に引き続き、10年前のアメリカホームステイについて書いていこうと思う。
昨日は私が無事にホストファミリーと合流したところまで書いた。
今日はその続きである。

ホストファミリーは、名をキャンベルと言い、父のロバート、母のアリーン、長男のマシュー、長女のサラ、絵にかいたような素敵な4人家族だった。
ロバートは優しくて頼りがいがある父親で、フリーのエンジニアとして働いていた。
アリーンは母親として、全ての行動に家族への愛がにじみでており、作る料理は抜群に美味しかった。
マシュー(写真中央)はレゴやプラモデルが大好きで、歳は私より1つ下だったが、
とてもクールな男の子だった。
サラ(写真右)はバレエを習っており、人形やお芝居が大好きで、
歳は私より3つ下のとても活発な女の子だった。

「ケニュー!ケニュー!よく来たね!」
4人が満面の笑みで、バスを降りた私のところへ歩み寄ってきた。
「オー・マイ・ネーム・イズ…」
私がカタコトで緊張しながら自己紹介をすると、
ロバートが強く握手をしながら
「緊張しなくて大丈夫!私たちがついている!君は今日から家族の一員さ!」
私はこの言葉を聞いた瞬間、涙が出るほど嬉しかった!
渡米が決まってから今まで不安と戦い続けてきたのが報われるような気がした。
そして何より、この家族と一緒なら頑張れるかもしれないという自信が湧いてきた。
私は残りの3人とも強く握手を交わし、家へと向かった。
家は2階建ての吹き抜けで、横長に大きかった。庭も公園並みの広さで、バスケットコートやバーベキュースペースがあり、いかにもアメリカの富裕層といえる家の大きさだった。
家族からハウスルールを教えてもらったところで、「今日は遅いからもうお休み」と寝室に案内された。私は寝る前にお風呂に入ろうと思い、バスルームに向かうとシャワーだけで湯舟がなかった。アメリカではそれが普通であることを事前に知ってはいたものの、いざ現場を目にすると、湯舟が恋しくなり、日本が恋しくなった。
しかたなくシャワーを浴びたが、長旅で疲れた体は全く癒されなかった。
この経験があるから、別府に住んでいる今でも湯舟に浸かれるありがたみは忘れない。


「ケニュー!ケニュー!」
ロバートの叫び声で目が覚めた。
「早く起きろ!学校に遅刻するぞ!」
私はハッとした。
昨日の疲れで、今日から学校が始まるのをすっかり忘れていた。
しかも、滞在初日から寝坊していく緊張感のなさ(笑)
大慌てで車に乗り、学校へ向かった。
校舎が教会に隣接されているオシャレな学校で、
月曜日から金曜日までで10時始業の15時終業だった。
授業は研修同様、グループワークとディスカッションがメインで
意見したり、発表をした人は周りから祝福され、チョコレートやガムが渡されるので、向上心がない私でも自然にモチベーションを維持することができた。
午後は、社会科見学がメインで工場、市庁舎、動物園、農園、自然保護区、消防署など、いろんなところを見て回った。
中でも印象的だったのがサンフランシスコ観光と州都のサクラメント観光だった。
この辺を話すと長くなるので、また別の機会に取り上げさせて頂きたいと思う。
学校が終わると、まっすぐ家に帰り家族みんなでディナーを過ごした。
私は幸い、食べ物の好き嫌いがなかったのでどれも美味しく食べることができた。家族は健康に気を使っており、基本ジュースは飲まず、野菜料理が中心だった。
夕食後は家族でミニゲームをしたり、テレビを観たりと、本当に仲が良かった。
私もずっと前からこの家にいるかのように馴染んでいた。
気付いたら、そこにはホームシックのホの字もなかった。
行く前はあんなに不安だったのに、行ったら行ったで、不安を忘れるくらい楽しく、忙しかった。
人間、頼れるのは自分だけという状況に陥ったら、本能的に自分で覚悟を決めて頑張ろうと決意することが分かった。

週末はほとんどを家族と一緒に過ごし、
野球観戦、プール付きの別荘、ディズニーランドに行った。
ヨットで西海岸を走り、イルカやアシカ達と競争しながら、ゴールデンゲートブリッジの下をくぐったりもした。

そんな調子で1ヶ月を過ごしたことで、私はポジティブ人間になり、言いたいことをズバズバ意見したり、頻繁にジョークを言うなど、渡米前の性格から大きく変わっていた。
こうなった背景として、ホストファミリーの愛情、今までの自分を知っている人はいないから殻を破ってしまおうという勇気があると思う。
日本に帰って来て、両親から一番最初に言われた言葉は「成長したな。おかえりなさい。」だった。
その時は自分自身が本当に成長しているか実感はなかったが、両親は私の佇まいを見てそう言ってくれたのだろう。
帰国後は、自立して次々と目標を立てて、何事にも明るく前向きに頑張った。
野球や勉強で結果が出始めたのもこのころだった。

親に言われ、しぶしぶ行ったホームステイ。
しかし、私の全てを全力で受け止めてくれた最高のホストファミリーとの出会いがあり、
家族の大切さを学び、
「僕でも頑張れる」「楽しめばいいじゃないか」
そういったポジティブ思考や向上心を手に入れることができた。
今では無理やりにでも行かせてくれた両親に本当に感謝している。
そして、愛するロバートファミリーは私の恩人であり、私の家族である。
本当にありがとう。

ちなみに、「ケニュー」は私の愛称で、
私の下の名前「ケンユウ」はアルファベットで「Kenyu」
ファミリーが「Kenyu」を「ケニュー」と発音したのが始まり。
私はこの名前を凄く気に入っているし、いちばん最初に呼んでくれた名前なので、
訂正は求めずに敢えてこのままにしている。

やはり、ホームステイの事を全て書こうとすると、
時間がいくらあっても足りないので
今回はこれで完結という形をとり、書き足りなかったところやピンポイントで掘り下げて書くべきところは、またどこかのタイミングで書ければと思う。
ここまで、長くお付き合い頂きありがとう。

ごきげんよう。
さようなら。

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