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[ちょっとしたエッセイ]「実はさ」と誰かに話すだけで

 SNSを見ていると、今日もたくさん勧めてくれる転職情報や仕事をやめてレッツファイヤーなんていう広告まがいの投稿やつぶやき。それにたくさんのいいねがあふれ、僕もいいねを押してしまいそうになる。
 20代の頃は、さまざまな理由があれど3度、4度と転職をした身なので、今身を置いている環境から抜け出したいだとか、もっと気持ちよく働ける場所に移りたいといった気持ちは非常にわかる。今勤めている会社もかれこれ15年ほどになるのだが、いつも同じような気持ちが日々心を揺さぶってくる。たぶん、この感情は、働いている以上コミコミプランのようないらん抱き合わせ商法に近いものなのだが、かといって後で解約することもできないやっかいなやつだ。ニュースでここのところよく報道される闇バイトだとか、投資詐欺だとか、ネットの情報に隣接するフワッとしたうまい話になんだかんだ目が行ってしまう自分の首根っこを捕まえては引き戻す作業を繰り返す。そんないつ罠にかかるかわからない自分が情けない。
「いや〜、やっぱりこれからマイコン使えないと時代に乗り遅れちゃうよ」と、いつも幼い頃の僕に声をかけてくれた人がいた。マイコンとはパソコンの古い言い方で、記憶にある方もいるのではないだろうか。祖父母が床屋を経営していて、そこに下宿していた当時20代前半の若者だった彼は、新しいことが好きで、秋葉原からほど近い場所にあった店から、毎週のように秋葉原にでかけ、パソコンの部品やらを買ってきては、うれしそうに僕に見せてくれた。今のようにパソコンが一般的でない頃だったので、僕は何が何だかわからなかったし、誰も彼の話にはついていけていなかった。パソコン以外の家電にも詳しかったので、僕はカセットテープのレコーダーやCDプレイヤーなどを彼を経由して、安く買わせてもらったりして、よく世話になっていた。でもある日、急に店から彼の姿が消えてしまった。祖父母に聞いてみると、浪費が激しかった彼は、方々に借金をしていて、結果的に店も辞めてしまったようだった。さよならも言えなかったことに僕は少しさみしい思いをしたが、祖父母からは彼には関わらない方がいいと釘を刺された。
 ある日、祖父母の家に行く道すがら秋葉原に立ち寄った。当時はとある宗教団体が全盛を迎えており、駅周辺なんかではひどい勧誘がある時代だった。中学生の僕が駅をでると、丸坊主に白い装束のような服を着た若い人が寄ってきて、「お父さんお母さんに渡してね」とビラを手渡される。それ以上にしつこくされることはなかったので、そんなに怖いイメージはないのだが、この日手渡してきたのは、祖父母の店を辞めたあの彼だったことに僕は驚いた。「え?」と顔を見ると、彼は「あ、ごめん」と僕から離れようとした。その時、僕は彼にさよならが言えなかったことを後悔している旨を伝えると、丸く剃り上がった坊主頭をかきながら、一緒に人混みから離れた場所に移動した。彼は缶ジュースを買ってきてくれて、近くのベンチに腰をかける。僕が謝ると、こっちが悪いんだからと缶ジュースを手渡してくれた。話を聞くと、今は借金を肩代わりしてくれたところで働きながらお金を返しているらしかった。でも彼はうれしそうに、高価なパソコンのソフトをコピーして、みんなが使えるように安い値段で提供しているのだと話してくれた。当時の僕には、そんな海賊版のようないかがわしいことやっている彼に対して、咎めるような意識はなかったので、彼がうれしそうにしているだけで、ああよかったなと胸を撫で下ろした。でも最後に「じいちゃんとばあちゃんには言わないでね」という言葉を最後に、彼はまた僕の前から姿を消した。それから数年後、ある事件をきっかけにその団体も姿を消し、本当に彼がその後どこで何をしているのかわからなくなったしまった。
 今でも秋葉原の駅前に出ると、彼の顔を探してしまう。生きるために追い詰められてしまうと、人は正常な判断ができなくなってしまうんだ、ということを彼から学んだような気がする。ここのところ闇バイトなんかの事件をニュースなんかで見るたびに、彼のことをどうしても思い出してしまう。そして、救いを求めて何か間違った道に行ってしまう人を目の当たりにすると、今の自分も少なからず何かの救いを求めていることに気づいてしまう。正しいことや信じるものは人それぞれで、そこに干渉はできないが、少なくとも僕の場合、困っているときに相談できる親しい人がいる。自分が困ったと自覚したときに、声をかける人がいるだけで、人の道から外れることを回避できるチャンスがあるのではないかと思う。恥ずかしいからだとか、相談するに値しないと思っても、「実はさ」と誰かに話すだけで、きっと背中をさすってくれたり、背中を押してくれたりしてくれるはずだ、と思っている。


手前味噌で恐縮ですが、はじめてZINEを制作しました。
ご興味のある方はぜひご覧ください。詳細は以下より。


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