[ちょっとしたエッセイ] 結果的にまだ生きたいのかもしれない
先日会社の健康診断に行った際、「ああ、あなたは高コレステロールと尿酸値を気をつけなくちゃ」と医者に言われた。加えて、「これって単純に肥満だとか関係ないのが怖いんですよね」と、医者は微笑みながら言った。これまで、どちらかというと普通より太めの人生を送ってきた。それでも、特に問題はなく、食べたいものを食べ、飲みたい時に飲んでいるような生活で、ある種のストレス軽減の作用がそこにあったような気がする。それが30代の後半を迎えた際、そんな生活に終止符が打たれた。と、いうのも、仕事でこれまでにないストレスにさらされて、体が耐えきれなくなってしまったのだ。端的にいうと、食べることができなくなってしまった。こういった病気に近いものは、自分の意思とは裏腹に制御が効かなくなる。会社や外にいて、お腹が減るから何かを食べようとすると、吐き気を催したり、酒を飲めばさらに吐き気がする。ただ唯一の救いは、家にいるときだけ無症状ということだった。医者に行って、精神安定剤と睡眠薬を処方してもらい、なんとか3〜4年騙し騙しやり過ごしていると、気がつけば元の体重からだいぶ減ってしまった。その後、部署の異動などもあり、それまでの精神的異変が治まっていったので、現在は健康的な重量で、なんとか生きながらえている。そして、前述の医者のひと言に、人生の後半戦に少し危機感を持ち始めた。
そんな話をある日友人としていると、それぞれがそれぞれに健康に問題を抱えていることに驚く。胃、肝臓、心臓、肺、そして心も含めて当たり前のようにみんな不具合を抱えている。話のネタがそれぞれの不健康具合に対する危機感ばかりになるのが、40代か。そんなことを考えていると、友人のひとりがカラダを鍛えることを提案してきた。よくよく見るとその友人の腕はひと回り、いやもっと太いことに気がつく。話を聞くと、今流行りのサブスクフィットネスに通っているらしい。そして、彼の通う時間にいつもいる若い女性と仲良くなって、それが続く理由だとニヤケ顔で話した。まぁ、理由はどうあれ下腹部がだらしなくなった様を思えば、それはそれでよいのではないかと思う。視野を広げれば、テレビに出てくる同世代の有名人なんかも、身体を鍛えてボディビルの大会に出ていたり、若かりし頃に比べると太くたくましい筋骨隆々な姿に驚いたりする。
そういえば、学生時代、マッチョな肉体にいつもタンクトップを着ていた独身の先生がいた(当時推定40代後半)。浅黒い肉体はどこか浮世離れしていて、鏡があれば、いつも自分の姿を見ていた。ある日、クラスの仲間と先生が話している際に、先生は結婚しないんですか?と質問をした人間がいた。先生はうれしそうに、もう無理だろねと笑顔で言った。その質問と答えのアンバランスさに僕は違和感を覚えたが、今思えばあの表情から推測するに、先生は結婚は無理というよりもする気がないような感じで、ただ人生を楽しんでいる節があったように思う。そして彼は、北池袋という魔境に住み、東南アジアを年に数度ひとりで渡航するあたり、やはりある一定層にあの浅黒い肉体は受け入れられていたのかもしれない。その後も独身を貫いた先生は、何年か前に定年退職をしたという知らせが届いたが、今現在どう生きているかは知る由もない。
肉体を鍛えるということは、ある種の自信と自己陶酔を生み出すのかもしれない。とはいえ、なぜに、そういう方向に向かうのか、イマイチ自分にはわからないけのだが、少なからず老いてみすぼらしい姿を黙って見過ごすよりはよいのかもしれないなと、帰り道に思った。ただそれがイコール健康かは甚だ疑問だ。
目下、自分の場合、高めに推移している数値をなんとか正常に戻したいと思うのだが、「これ言っちゃうとそれまでなんですけど、トドのつまりこれって体質だったりするんで、様子見て本当に危険な数値に行ったら治療しましょうね」と、医者は笑って話した。危険水位を目前にして、なす術はないのか。そんな焦りと医者の表情がまったく噛み合わないまま、病院を後にした。結局何も対処法を教えられずに出てきたので、スマホで調べて今夜は豆腐でも食べることにした。
40代を半ばを過ぎると健康であることが稀になってくる。折々に対処療法を繰り返しながら、騙し騙し生きるしかない。さらに先はもっとなんて考えると恐怖でしかないが、今できることは、水をたくさん飲んで、野菜をいっぱい食べて、少しでも体の中を健康にすることを意識する。そして、時間があれば筋トレでもするかと、ちょっと心持ちも変わってきたかもしれない。
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