見出し画像

ユゴー「レ・ミゼラブル」レビュー

以前一度トライしたものの、冒頭から延々歴史解説みたいなのが続き、うんざりしてやめたことがありました。
まあ映画とかで内容は知ってたし。
最近になって、フランス文学熱が再燃し、「レ・ミゼラブル」読んでないのはやっぱまずいよなーと思って調べてみたら、角川文庫から抄訳版というのが出ていることを知りました。
こちら。

元々はポール・ヴェニシューという人が原作があまりにも長すぎて読まれなくなっていることを危惧し、内容を損なわない程度に端折り、出版したものの和訳のようです。
といっても400ページちょっとの文量で上下巻あるので抄訳でも長いっちゃ長いですが。

作者

ヴィクトル・ユゴー

1802年2月26日 - 1885年5月22日
作家、詩人、政治家。
亡くなった際は国葬され、紙幣になったこともある偉いひと。
奇人変人の多い文学の世界で社会的にも成功した珍しいタイプ。
「レ・ミゼラブル」は1862年刊行。

内容

ひとことで言うと「てんこ盛り小説」。
タイトルだけ見ると「みじめな人々」という意味で、旧邦題は「あぁ無情」だったので、なんか貧しくてみじめな人々が情けのない世の中を懸命に生きるお話なんだろうなと思っている人も多いみたいですが、そうでもありません。
主人公のジャン・バルジャンもわりと早くからお金持ちになったりします。
本作には正義、悪、愛、道徳、法、宗教、社会、政治、貧富の差、家族、恋愛、青春、闘争などなどありとあらゆる概念が登場し、ひとつの完成された世界を創りだしています。
また、本作は単なる人情小説ではなく、またフランス文学伝統の心理小説でもなく、冒険小説、推理小説、恋愛小説、社会小説などなど、「純文学」と呼ぶことすら首を傾げたくなるほど様々な小説要素が盛り込まれています。
エンタメ要素もかなり多く、それもラノベ的なご都合主義や現実には無理だろうというトンデモ設定(解説にも書いてある)まで。
あと、フランス文学の裏の伝統でもある変態要素もちらっと見えたのが僕には収穫でした(後述)。
今後「名作文学でこれだけ読んどけばいいってやつない?」と訊かれたら僕は本作を推すことにします。

読みやすい

これから読んでみたいという方に朗報。
少なくとも僕が読んだ角川文庫抄訳版はめちゃくちゃ読みやすかったです。
キャラが魅力的で、物語自体もスピーディですし、訳も現代的にブラッシュアップされている印象。
読書慣れしている人ならあっという間に100ページ200ページ読んで「あれ、もうこんなに?」と感じるでしょう。
長さに臆する必要はないので、興味ある人はぜひ読んでみてください。




*以下、ネタバレあり*




登場人物

本作の登場人物は完全に役割が決まっています。
それでいて人間として生き生きとしているところが作者の文豪たる所以でしょう。

ジャン・バルジャン - 善

主人公。
元悪人で囚人だった。
そこから改心し、世のため人のために生きる。
単なる善人ではなく元悪人であるというところがポイントでしょう。
一元的な人格のあやうさはジャベールにて描かれています。
人はいつでも、何度でも改心できるというキリスト教的な道徳観を体現させた人物。

ジャベール - 法

警部。
ジャン・バルジャンの敵。
法が全てで、法の元に生き、それが故に最後は苦悩して自殺する。
ジャベールを通して作者の法への懐疑や法と人間のあるべき関わり方を説いているよう。
また、極端な人間の末路を予言している。
ドストエフスキー作品に登場するニヒリストたちとやや似た立ち位置。

コゼット - 無垢

無垢は不幸をも打ち砕き、必ず幸せを手に入れるというやや古い価値観が垣間見える。
また、「少女」であるところもちょっと疑問。
別に少年でも成立したはず。
この辺にフランス人の隠しきれない変態性がやや垣間見えていておもろい。
とはいえ、ややもすれば泥臭く、血なまぐさい本作にずっと爽やかで涼しげな風を吹かせている重要なキャラ。

ファンテーヌ - 不幸

コゼットの母親で辛酸を舐めつくし、病死。
タイトルの「レ・ミゼラブル」を体現している女性。
本作がなんとなく不幸物語と誤解されているのはこの人物のせいだろう。
重要人物ながら全編通してはそこまで登場しない。

テナルディエ - 悪

悪の象徴。
一瞬たりとも改心したり、正義の心を見せない。
役割としては一番わかりやすい人物。
ただ、こいつがいるからこそジャン・バルジャンの善性やコゼットの無垢さが際立つ重要キャラ。

マリウス - 青年

青年らしい青年。
コゼットに恋をしつけ回したり、革命に身を投じたり、結婚が成立したらジャン・バルジャンをうとましく感じたりと、あれこれ世事に翻弄されるところが青年らしい。
ある意味主人公はマリウスかもしれない。

以上主要人物はこんな感じ。
普通ここまで人物に役割を持たせたらカチカチのプロット小説にしかならないんですが、それを突き破る筆力には脱帽です。
こうした役割分担は、後の小説や漫画、ドラマなどに多大な影響を与えたことでしょう。
安易に真似すると必ず失敗しますが。

ドラマが神がかっている

本作から色々な要素を読み取ることができますが、個人的にはドラマが神がかっていると感じました。
一番好きなシーンは、偽のジャン・バルジャンが裁判にかけられているところに本物が登場し、元囚人仲間に自分が本物のジャン・バルジャンだと打ち明けるところです。
その後逮捕され再度懲役に送られるも、脱走してコゼットを救いに行くくだりはデュマを彷彿とさせます。
1862年刊行の本作が2024年現在でも通用しているどころか、これを超えるドラマ性を持つ作品を探すことの方が難しいです。
当時新刊で読んだ人たちはひっくり返ったでしょうね。
いや、でもデュマやバルザックもいたから以外とそうでもないのかも…

ジャン・バルジャン、ロリコンやんw

上巻でジャン・バルジャンはテナルディエからコゼットを引き取ります。
その直後ぐらい、ジャン・バルジャンがまだ幼いコゼットに恋心のような感情を抱くシーンがあり、僕は「???」と首を傾げました。
いや、こいつロリコンやん!と。
あと、かなり終盤でコゼットの子供服に顔をうずめるシーンとか……
以前観た映画ではあんまりそういう感情は描かれていなかった気がするしジャン・バルジャン=ロリコン説も聞いたことはありませんでした。
で、この<おじさんと幼女>というセット、何かで見た記憶があるなーと思ったら……「LEON」でした。

ジャン・レノ監督が本作で意図的に「レ・ミゼラブル」のジャン・バルジャンとコゼットを再現しようとしたのか、それとも自然とそうなったのか……。
なんとなく後者な気がします。
たぶんフランス人っておっさんと幼女の組み合わせが好きなんでしょうね。
よく西洋から日本の漫画・アニメはロリコンでどうのこうの非難されるけど、なんや、お前らもロリコンやんけwww
西洋からの日本のロリコン非難に対して、今度からジャン・バルジャンを引き合いに出して反論しようと思いました(そういう機会があるかどうか分かりませんが)。

映画「レ・ミゼラブル」レビュー

八幡謙介の書籍

八幡謙介のHP