見出し画像

バルザック「ラブイユーズ」レビュー

フランスの大作家オノレ・ド・バルザックの作品。
刊行は1843年(天保14年)。
翻訳は國分俊宏氏。

バルザックの読んでない作品を読みたいと思い、Amazonで探してみると本作が新訳で刊行とあるのを目にし、購入。
海外文学作品は多くの場合訳が古いままで日本語として読み辛かったり、あまりにも表現が古くさくて読む気がしないものがあるので、新訳(それも2022年刊行!)はありがたい。
一方、翻訳は訳者の個性や見識がモロに反映されるので失敗するケースも。
そういった不安に加え、本編650ページの分量、バルザックとしてはややマイナーな作品という位置付けもあり、恐る恐る読み始めたのだが、すぐに不安は全て払拭され、作品世界に没頭し、あっという間に読み終えてしまった。

まず國分氏の訳。
現代的な平易で読みやすい文章はまちがいなく新読者獲得に貢献しているし、バルザックファンや純文学ファンも同時に納得させられる力を持っている。
この分量の長編がスラスラ読めるのはもちろんバルザックの筆力もあるが、國分氏の訳でなければ無理だったかもしれない。
(後書きには先輩翻訳者の味のある文章がいくつか引用されていたが、読んでゾっとした)。
冒頭にはめずらしく「訳者まえがき」があり、作中時代のフランスの歴史を簡単に紹介しているが、僕みたいなフランスの歴史に無知な人間にはとてもいい導入になっているし、解説やあとがきも全く文学者然としておらず、気さくな教授がお茶しながら文学談義をしてくれているような雰囲気でとても好感が持てた。

そういった訳のおかげで、一切前提知識を持たなくても作品世界に没頭できたし、かなり前半から注釈も読まなかったが問題なく最後まで読めた。
長編、特に海外文学を読むときは名前や関係性をメモするべきかどうかで悩み、いらないだろうと高をくくって進めていったところ誰が誰だか分からなくなり、また頭からメモをしながら読み直すということがしばしばあるが、本作はメモなしで大丈夫だった。
後半何人か分からない人物がいたが、それでも物語の理解を阻害することはなかった。
ドストエフスキーほど読者に登場人物を植え付けることに意識的ではないものの、ユルスナールほど読者の読書力に全幅の信頼を置いておらず、それなりに読者の記憶を手助けしながら書かれてあるような印象を改めて受けた。

肝心の作品は「ゴリオ爺さん」同様主人公が誰だか分からない群像劇で、かといって一切崩壊することなくひとつの大きな流れに向かっていく感じ。
主題としては家族愛、兄弟の愛憎、芸術論、富と人間、放蕩、破滅、暴力、都市と地方、などが渾然一体となった印象。
この混沌とした小説世界をまとめあげるある種の腕力がバルザックの特徴なのだと改めて分かった気がする。
いや、だからどんな話やねん?と言われたら……苦労人の母ちゃんがクズの長男を溺愛しつつ、芸術家の次男は母ちゃんに認められるために地道に頑張って、チンピラ一党に騙されそうになったときクズ兄が想定外に役に立ったけどやっぱりクズはクズで、最後は破滅して弟が幸せになるという話である。
だからといって兄弟の愛憎の話というわけでもないし、帯にあるようなピカレス(悪漢)小説というわけでもない。
それもあるけど、それだけでは本作の1割も説明できないほど様々な要素が混沌と詰まっており、読者それぞれが自分の物語をつかみ取っていくのが正解だろう。

最後の最後におまけ程度に「ゴリオ爺さん」の主人公ラスティニャックの名前が出てきて(本筋には絡んでこないのでネタバレではない)、ニヤリとした。
これはご存じバルザックが発明した「人物再登場」。
なんで別の作品の登場人物が出てきたら嬉しくなるのかいまだにさっぱり分からないのだが、なんか旧友に偶然会ったみたいで嬉しい。

個人的にバルザックは旧訳で読んで来たので、「ゴリオ爺さん」も「谷間の百合」も「絶対の探究」もなんかイマイチだったけど、新訳で読み直したらまた違った印象になるのかもしれない。
とりあえず現時点でこの「ラブイユーズ」がバルザックの中で1位となっている。

八幡謙介の小説

八幡謙介の小説全作品をチェックする

八幡謙介のHP