感染症の時代における私たちの生き方
私が作った言葉に、精神疾患の患者役割という言葉があります。
精神疾患にかかり、周りからの圧迫を感じないように、行動を少し変えてみる。少し変えると圧迫が減り、また少し変える。これを繰り返すうちに圧迫を感じながらも、楽になっていく。
はじめは、患者として振る舞うことで、周囲からの圧迫が緩和され、患者としての役割を演じるようになる。
患者としての役割に慣れすぎ、能動的であった過去の自分を忘れるくらいの時間が経って、まるっきり周りの精神病患者としての行動様式をするようになる。患者役割と呼ぶことにしよう。
患者役割をしていれば、周囲の人から圧迫がないし、つらい思いも少し楽になる。楽になることに慣れ、長い時間が経ち、自分が患者役割を演じていたことを忘れてしまう。
患者役割から脱出すること、人生の苦労を引き受け、症状が悪くならないように生きることばかりを追い求めない生きかた。しかし私は、患者であることに間違いはない。
自分の生き方が変わったことを言葉にして、人に伝えることができるようになると、その人のリカバリーが立ち現れ、他の人にリカバリーは感染する。
リカバリーという言葉をつかまえ、主観的リカバリーという言葉も、つくった。
今、新型感染症の社会の街を歩く。
マスクをしている人を見ると安心するのではないだろうか。
少し、離れた距離に他の人がいると安心するのではないだろうか。手を洗う、手を消毒すると安心するのではないだろうか。
そのような安心感を得るとメンタルヘルスの圧迫が少し緩和されて、楽になる。
マスクをしていない人、距離を取らない人、手を消毒しない人、手を洗わない人には、こころに圧迫をおぼえ、ストレスを感じる世の中である。
多くの人が、行動を変えた。メンタルヘルス村と、現在の新型感染症の社会の共通点がある。
ここ数年、私達はすべからく、マスク、手洗い、距離を取る行動様式を変えて、長い時間が経った。あと2年も経てば、この行動様式に慣れ、圧迫を感じないために、その役割を演じ、楽になる。
圧迫を感じない楽さになれて、長く過ごすうちに、マスクをしない人をみると、圧迫を感じるようになる。
感染症の社会の中で生きていく上で私達は、マスク役割を演じている。
演じていることを忘れるくらいこれからも感染症の時代が続けば、マスク役割の社会の出来上がりである。
私達精神障害者は、精神障害を持ったまま、患者役割を脱出する。そして、自分の経験を語りることができるとき、リカバリーは立ち現れる。それが主観的リカバリー。
感染症の社会において、マスクをしたまま、マスク役割を脱出する人々が現れ、経験を語ることができるようになるとき、何かが起きるのではないだろうか。
新たな冷静さ、寛大さが立ち現れる社会。私はそれを期待している。
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