ヨシダケント
横浜からお届け、「音楽ブログ新聞」。好きな音楽しかお届けしません。偏向報道しまくりです。どうか悪しからず。インタビュー、ディスクレビュー、ライブレポートなど。横浜町田湘南のエリアに根ざした企画も。編集長は現役大学生で自らも音楽家のヨシダケント。
深夜四時、ヘッドホンからは佐久間宣行のオールナイトニッポンが流れていて、手元には電子タバコの吸い殻が残っている。気の抜けた僕のアホ面は、パソコンのモニターとにらめっこしていて、せっせとキーボードで打ち込んでいるのは、このnoteであった。 僕は、就職活動も落ち着いた今、僕が経験したコロナ禍における一年間の経験を、このnoteにまとめようとしていた。 この一年間、色々な事があった。 というより、色々な事がコロナで無くなってしまった。だからこそ、色々な事があったし、色々な事
大学三年生の最後の授業、最後の課題、全てが終わった。味気ない授業と、味気ない課題だった。気づいたら終わっていた、という感覚だ。マジでFANZAでおっぱい見ているとき以外、とてつもなく苦しい一年だった。ありがとうFANZA。君だけが僕の癒しだったよ。 僕の大学三年生は、一年を通してリモート授業だった。大学に行ったのは二週間に一回程度である。 自室のパソコンの前で、Youtubeを見る時と同じ姿勢で授業を受け、そして、Google Classroomでレポートを提出する。こん
<前置き>新年あけましておめでとうございます。音楽大好き底辺ミュージシャンのヨシダです。昨年、意気揚々と「横浜音楽新聞」を旗揚げしておいて、中々活動を波に乗せられなかった横浜音楽新聞ですが、今年はnoteに活動拠点を移し、マイペースに更新をしていこうと思っています。 新年一発目の企画は、バズリズムの例の企画「コレがバズるぞ2021」の丸パクリです。 しかし、僕自身が底辺ミュージシャンとして活動している身でもあります。底辺ミュージシャンである僕が、上から目線で人様の音楽を述
2021年になった。「あけまして『おめでとう』」 そんな常套句を浪費した、年始の騒がしさもとうに過ぎ去り、もう1月も半ばである。「おめでとう」という言葉が皮肉の様に、世界はずっと怒っていて、怯えている。1月15日、深夜二時。遅すぎる夜に、遅すぎる新年のご挨拶をしたい。 正月は何をしていたかというと、特に何もしていなかった。「みだりに外に出るな、みだりに遊ぶな」と社会が求めているのだから、それでいいのである。 …それでいいと、思うようにしている。僕は元来怠惰な人間であるけ
11月16日、月曜日。同じ大学の同じ学科で、一年生の時からの付き合いなのに、この疫病のせいでほとんど会えなくなっていた友人たちと再会。 なお、今日集まった僕を含めて4人のうち3人が童貞である。4人のうち3人が童貞である。4人のうち3人が童貞である。4分の3が童貞である。 こんなご時世に、若者同士で接触してしまったことをどうか、許して欲しい。異性との接触はおろか、同性との接触も限りなく減少しているのが、僕達だった。 僕の友人は、皆心根が真面目なので、極力不要不急には会わな
気づいたら11月も半分を過ぎて、アルバイト先ではクリスマスソングが流れ始めた。とても寂しい気持ちになる。今年の一年は本当にクソだったね。日本全体が、世界全体が、クソだったよね。沢山の人が死んで、沢山の人が怒って、沢山の人が引きこもって、でも、全く引きこもらない人も居て。 世界って永遠に一つにはならねーなと改めて思った。それぞれの「自分勝手」が何億何十億と重なって、不協和音の中に無理やりに和音を見出すことが、結局の所、世界の全てなのだ。 銀杏BOYZの新譜「ねえみんな大
僕は21年間、「ヒト」として生活を続けてきた。 親から授かったこの体、21年という決して短くない年月、僕は有難い事に、特段大きなトラブルもなく、生活することが出来ていた。 しかし、なかなかどうして、「体のバグ」というものは、いつだって思わぬ形で現れるものである。 ねぇ、神様。試練を与えるにしても、もっと良い試練の与え方があったんじゃない?こんな独特な「体のバグ」で、入院ヴァージン、手術ヴァージンを奪われるだなんて。僕、思いもしなかったよ。 さて、 「尻毛」いわゆる「
どんな人間にも、隠し事の一つや二つ、あるものである。 そして、どんな人間にも、恋人や家族の他に依存している「モノ」があって、その依存が失われた時には、代替案によって、その依存性が埋め合わせされていく。 「じゃ、買い物行ってくるから」 「うん。ありがとね」 真夏の夕方はまだ明るいから嫌いだ。しかし、五時ぐらいになれば、少しずつ太陽がオレンジ色に変わる。その色を見た時、少しだけ僕は、救われたような気分にさせられる。 交際相手の夏希が、忙しそうに夕飯の買い物へ出かけていっ
「ヨシケンには幸せになって欲しい」と言われることがたまにある。 色々頑張ってるんだけど、不器用だから色々上手くいかない。 その状況を憐れんで、優しい友人が、そのような言葉を掛けてくれる。 世の中には不幸せな人が沢山居るんだ、その人と比べちゃ、ヨシダ、お前は幸せ者だよ?うむ。一利ある。でも、俺が苦しいと思っているのであれば、それは立派な苦痛なのだ。他人と比べてどうとか、他国と比べてどうとか、苦痛はそういう話じゃない。 ★★★ 去年の話になる。恵まれた友達と大学で馬鹿話
7/1からレジ袋が有料化した。 僕もアルバイトで、新方式への順応が求められることになった。 結果として、印象、八割ぐらいのお客様から「レジ袋いりません」との反応。 まじか。すげえな。驚いた。こんなことやって効果あるのか、と思ったけど、明らかに効果が出ている。 ほとんどのお客様は、リュックサックなり、トートバッグなり、カバンを持っている。5円を払わずとも、カバンにその品物を入れれば事が済むのである。よく考えれば、多くの人にとってレジ袋は必要とないものだったのだ。 人は
僕が中学二年生から大学三年生の今に至るまでに書き溜めた曲を、このコロナ自粛期間にマンションの一室で近所迷惑家族への迷惑にビクビクしながら宅録し、一つのアルバムとしてリリースしました。 このアルバムについてはまた何かの機会に伝えられたらと思います。 今日話したいのはまたそこからスケールが広がる話。 このアルバムを睡眠不足になりながら完成させた時に思ったのです。「あれ、俺なんで音楽頑張ってるんだろう、、」って。 先にネガティブな要素を少しだけ述べさせてください。 ネ
相変わらずお前は薄っぺらい偽善者だなと陰口を言われてもいい。薄っぺらな人間だなと揶揄されてもいい。薄っぺらいポエムだなと馬鹿にされてもいい。 今日、僕はインターネットが大好きで大嫌いだと気づいた。 それに気づいたとき、何のやる気も出なくなった。折角の土曜日だ。本当はもっとやりたいことがあった。でも、ずっとベッドの上で寝ていた。何も手につかなかった。ひとつの無常のようなものを感じてしまった。 …… 僕はインターネットに小学生の頃から親しんでいる。 僕と同世代の人な