
私がチャットレディになるまで ③出産、別れ
緊急入院、出産
出産予定日前日の朝、病院へ健診に行ったところ胎児の心音がほとんど聞こえない「胎児仮死」との診断を受けました。
「今すぐ帝王切開をしましょう」
当日家を出る直前まで個人の仕事を進めており、途中で手を止めてきたため、その場で慌てて取引先に連絡。帝王切開は1週間程度の入院が必要であることを説明し、仕事を引き継いでもらいました。
母にも急遽出産になったことを伝え、実家から3時間半離れた病院にすぐ駆けつけてもらうことに。
帝王切開は全身麻酔で行います。
全身麻酔にはリスクが伴うため同意書が必要で、そこには同伴者も署名をしなければいけません。
当然一人で病院へ行った私に同伴者はおらず、看護師長に「ご主人に連絡を」と言われて、相手が既婚者であるという事情を説明すると、再度「今すぐ父親に電話を」と言われました。
彼に事情を説明するため電話したところ、今仕事の手が離せないので、夕方なら病院に行けるとの返事。
そう伝えると、あっという間に看護師長に携帯をひったくられました。
「突然申し訳ございません、〇〇病院の看護師長をしております△△です。あなた、自分が今から何になろうとしてるか自覚がありますか。人の命がかかってるんです。今すぐ仕事を切り上げて病院に来なさい」
そう言って電話を切ると、看護師長に「子供が産まれることには、二人とも責任があるんです。子供のことで相手に遠慮してはいけません」と強く諭されました。
30分後、彼がやってきて同意書にサイン。
すぐに全身麻酔をかけられ、目の前は暗転しました。
次に気付いたのはベッドの上で、目は見えないまま、ぼんやりと遠くで看護師長と母の声を聞きました。
目が慣れてくると、ベットサイドには母と彼が。二人は病室で初めて鉢合わせしたのでした。
産まれたのは女の子でした。
状況を説明してくれる母の後ろに、情けない顔で彼は控えているだけで、その日帰るときに「それじゃ」と言うまで、一言も言葉を発しませんでした。
彼に迫った決断
1週間後退院し、自ら役所での手続きを済ませ、未婚の母となりました。
手続きの前に彼には再度認知をしてくれるよう頼みましたが、その際に同意は得られませんでした。
仕事には、退院翌日から復帰。
家事なども変わりなくこなし、1ヵ月後には母に娘を見てもらい、出張にも行きました。
当時のことはあまり覚えていませんが、とにかく仕事をしてこの先の生活費を稼がないと…という思いで必死だったと思います。
娘はいっぱい母乳やミルクを飲んでぐっすり眠る、とにかく手のかからない子でした。
彼も子育てには協力的で、娘も彼に懐き、1歳を過ぎるころには「パパ」と呼び出しました。
娘が1歳を過ぎ、私は再度彼に
「今からでもいいから娘を認知してもらえないかな。この子の将来を考えれば、自分が父親に認められていないのはかわいそうよ」
と言いました。
毎日娘を抱き、「パパ」と呼ばれ、愛着が湧けば考えが変わるかもしれない、そう思ったのです。
彼は不思議そうな顔をして、
「認知をしなければいけない意味がわからない。今どきは片親でも就職などは不利にならないというし、別に支障がないのでは」
と言いました。
彼との別れ
この翌日から、私は物件探しを開始しました。
当時、仕事は東京の会社からもらうことが多く、打ち合わせなども大変だったため、その近郊でアパートを見つけました。
住んでいる物件の解約手続き、引っ越しの算段をし、日中は最低限使う台所用品以外を少しずつ荷造りし、彼が普段入らない仕事部屋に積み上げていきました。
1ヵ月後、彼に、
「この家は1週間後に解約するので、荷物をまとめて出て行ってください。私たちは引っ越しします。娘に少しでも情があるのなら、娘の10歳の誕生日までは養育費を振り込んでください」
と言い、娘の口座を書いた紙を渡しました。
彼は、困惑げに
「かわいいから離れたくない」
と娘を強く抱きしめました。
私は娘がおなかにいるとわかってから、悩み、少し泣きはしましたが、感情的に彼を責めることはしてきませんでした。
そうしてもどうにもならないと思っていましたし、自分にも確認を怠った非があり、自分はもう彼のことを諦めている、そう思っていたのです。
知らなかったとしても結果として不倫をはたらいていて、彼の妻にとって有責である私に、騒ぎ立てる権利はないとも思っていました。
でも、彼に認知の話をして返事を聞いたとき、とても落胆し、「私はまだ彼に期待していたのか」と自分で自分に呆れる思いでした。
そして、
「かわいいから離れたくない」
そう言われた時、
「娘はペットじゃない!」
と自分でも驚くほど大きな声で絶叫しました。
私こんなに怒れるんだ、と冷静な自分もどこかにいました。
その日から、私は彼とは事務的なこと以外は口をきかず、退去手続きを済ませて、新しい家に転居しました。
その後、事務手続きなどに関して彼と数回連絡を取りましたが、それ以降は連絡をとっていません。
幸い養育費は、遅れることがあっても、娘の10歳の誕生日までは欠かさず送金されてきました。
引っ越してからは、朝から晩まで細々した仕事をこなし、ギリギリの生活費でやりくりする日々でしたが、娘とおだやかな日を過ごす時間ができたのは何よりだったと思います。
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