ダダイズムとは何か
昨今生成AIが流行る前、自分で作ったマルコフ連鎖のロジックで作った文章生成装置を使って、文章を自動生成していた際に、そこで出される文章がダダイズムの文章と似ていると言われたことがある。それをきっかけにダダとは何かを学習せねばという意識があったが、しばらく放置していた。この度
「言葉のアヴァンギャルド」という本を読んだので、その内容をまとめていきたい。この本では二十世紀を代表する思想として
未来派(マリネッティ)
チューリッヒ・ダダ
パリ・ダダ
の3つが紹介されている。この3つを中心にご紹介したいが、それらに通底する一つのコンセプトとして「切断の意識」というものを上げている。
2つの切断
切断には2つの方向性があると述べられる。一つは「過去との切断」、もう一つは「意味との切断」である。
過去との切断
十九世紀後半以降、近代性が増し、世界が、生産と消費、文化とコミュニケーションの巨大な包括的ネットワークに組み込まれ始めた時代。これらの意識の拡大と浸透に対して、時代の区切りとして、「過去との切断」という意識が思想に深く関わっていると著者は述べている。
意味との切断
スイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュールが二十世紀前半に一般言語学講義にて、シニフィエとシニフィアンについて述べ始めた。特にシニフィエとシニフィアンの結びつきは「恣意的」であると述べている。呼ばれるもの(例えば犬そのもの)は、「イヌ」という言葉自体とは関連性が薄く、日本人が勝手に犬という動物にイヌという響きの音を当てて読んでいる。この「言語記号の恣意性」について、結びつきを絶ち、シニフィアンからシニフィエから解放されて浮遊する可能性を見出したのが、「意味との断絶」であると述べられている。
未来派
1909年にイタリアのマリネッティが「未来」派というネーミングの芸術集団を結成し、その宣言をマスメディアを使って大々的に実施した。当時最先端だった自動車をモチーフに、速度の美学として宣言をし、過去との断絶を図った。未来派文学の技術敵宣言のなかで、言葉の解放として、次のような方法を提示した。
名詞を思いつくままにならべて、統辞法を破壊せよ
動詞を不定法のままで用いよ
形容詞を廃止せよ
副詞を廃止せよ
どの名詞もその分身をもたねばならない
もう句読点はいらない
言葉をもろもろの規則や慣習から解放して、自由に組み合わせて、飛び回らせよう
文学における「私」を破壊せよ。
過去にあった文章や言語自体を否定し、もっと自由に言葉をスピード感を持って、使っていこうというような内容。また騒音やオノマトペを導入するなど、言語における新しい可能性について模索した期間であった。
チューリッヒ・ダダ
1916年トリスタン・ツァラは日常的にキャバレー・ヴォルテールという場所で、同時進行詩(3人がバラバラの言語で同時に詩を朗読する)などのパフォーマンスを行っていた。この行為は言語の「線状性」(人間は言葉によって一度に一つのことしか言えない)に対する挑戦で、そのような言語に対する新しい取り組みを実施していた。
そのキャバレー・ヴォルテールには、そのような前衛的なアーティストがあつまり、ある種の混沌状態が生じていた。そんななかでダダ宣言が行われる。言葉に対する意味の切断を試み、その宣言自体に対しても意味の切断が企てられている。『「換気扇」を「犯罪」と読んだってかまうものか』などの文章を代表するように支離滅裂で、その宣言自体にシニフィアンとシニフィエの切断への意思が含まれている。
ダダ宣言1918では、ダダとは何かという問いに対して
ダダは何も意味しない
という回答を出す。宣言にも関わらず、何も主張しない点が「メタ宣言」的機能を持つと著者は分析している。反記号性、パロディ性を含み、Aは非Aであるという宣言そのものを無効化するような考え方がダダの特徴である。
ツァラがこころみた詩では、読み手を動揺させ、読者の理解を最初から混乱させることを目指しているかのような、非日常的な単語の組み合わせの詩を発表している。
パリ・ダダ
パリに住むアンドレ・ブルトンは医学生でありながら、文学にも興味を持ち、そのなかでフロイト理論に出会う。特に自由連想法(心に浮かぶすべての思考を無差別にいいあらわすことにより成立する自由連想の方法)を背景に、自動記述(エクリチュール・オートマティック)の実験を行う。自動記述とは「理性によって行使されるあらゆるコントロールなしに、一切の美的、道徳的気づかいの外部でなされる思考の書き取り」のことで、何を書こうという意識をもたずにペンをとって、手の動くままに言葉を書き取るという実験をしていた。
これは理性のコントロールから可能な限り遠ざかろうとした実践であり、無意識の領域からのメッセージを読み取ろうとする行為は夢の記述ともつながる。
この意識の真相に横たわる別世界を、ブルトンは「超現実」と名付けることになる。
チューリッヒ・ダダとパリ・ダダは支離滅裂な文章という点で、アウトプットは似ているものの、思想の根幹が違う。チューリッヒ・ダダは「何も意味しない」というメッセージからあるように、それはある意味「一つの精神状態」であるが、パリ・ダダは無意識の世界を読み取ろうという行為である。
その後
パリ・ダダを牽引していたブルトンが1924年に、シュルレアリスム宣言をおこなう。人間の内面と外面、夢と現実、日常と革命等の二項対立のものを(ダダ的に)解体するわけでも、(マルクス主義的に)解消するわけでもなく、それらの二項を通底するシュルレアリスティックなイメージの世界を想像しようとする活動である。
これらはダダの根本にあった「切断」という概念から二項に通底するイメージをつなぐ「接続」という概念に取って代わり、ダダイズムとしての考え方が薄れていく。