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ただ弱いのが嫌だから強くなりたかっただけなのに
1月12日 朝5時45分、フランス・パリ。
旅行先のボルドーから夜行バスに乗っていた僕は、まだ夜の闇に包まれる気温0度のパリの街に降り立った。
今日からパリで新たな生活が始まる。
晴れの門出とは思えない過酷な状況だ。
重いスーツケースと重いリュックを持ち、ひとまずベルシーバスターミナルの外に出た。
今からどう過ごそうか。
ひとまずどこかで座ってゆっくりしたい。
夜行バスではほとんど眠れなかった。
満席のバスには、スペイン人らしき人がたくさん乗っていた。
そして夜中でもお構いなしにスペイン語が飛び交っていた。
周りの人は何も気にしない。
それどころか、音楽をイヤホンなしで聴いて、さらに騒音にしている。
これがヨーロッパのスタイルだから受け入れるしかない。
僕は6時間のバス旅のうち、たった1時間だけの浅い睡眠でパリに降り立ってしまった。
向かった先は徒歩で10数分のリヨン駅。パリの主要駅の一つ。
かすかな希望だったものの、こんな早朝でも電車は走っていた。
人のいる方に向かうと、無料の休憩スペースがあった。
砂漠でオアシスを見つけた気分だ。
そこに一旦座って休憩することにした。
振り返れば、このような体験は初めてではない。
学生の頃にひとりで行ったアメリカへの旅行で同じような経験をしていた。
当時、3月ながらアメリカ東海岸には大寒波が来て、ニューヨーク周辺は大雪が降った。
僕はカナダのトロントからナイアガラの滝を経て、アメリカ側の都市バッファローから首都ワシントンD.C.にバスで向かう予定だった。
しかし、バッファローから出るバスが大雪で欠航となってしまった。
立ち往生となり、どこかに行けないか必死で探した。
今思えばバッファローにそのままいれば良かったのだが、あの時はパニックでなんとか移動したかった。
偶然近くにいた韓国人女性二人のうちの一人は、カタコトの日本語を話せた。
今の自分の状況を説明してなんとか手段を調べてもらったところ、特急電車でニューヨークに行けることがわかった。
深夜0時を過ぎた頃、僕は特急電車に飛び乗り、ニューヨークに向かった。
大雪の影響を受けて、その電車も一時停止を繰り返したり、途中駅で何時間も停車したりなどをしていた。
ろくに英語を話せなかった僕はとても心細かった。
車掌は、当時まだ黎明期だったGoogle翻訳を使って必死に状況を伝えてくれた。
バッファローを出発して26時間が経過。
やっとのことでニューヨークの中心・ペンシルベニア駅に到着。
時刻は午前2時。外は大雪。
僕は外に出され、新たなパニックに陥った。
今からどうしたらいいのだろう。
パニックだけど誰も助けてくれない。というより誰もいない。
一人で歩くマンハッタン。
ネオンがキラキラ輝いてるのに、周囲には人の気配がない。
本物のゴッサムシティだった。
タイムズスクエアの階段を登った。
誰もが憧れたこの場所に、今は僕しかいない。
奇妙な経験だった。
その後は雪の道を歩き、ネオン街の陰で細々と営業中のマクドナルドに辿り着いた。
大して温かくもなかったけど、ここしか暖を取れる場所がなかった。
ホットチョコを買って、ひたすら縮こまっていた。
そのまま日が昇るまでそこで時間を潰した。
あの経験があったからか、今回の僕は冷静だった。
なんとかなると思えたし、パニックにはならなかった。
それは僕が強くなったな、と受け止められる事実でもある。
僕は元々とても気が弱い。小心者だ。
安心安全な何かが崩れた瞬間、ビクビクして怖くなってしまう。
人から怒られるのも嫌だし、ネガティブな空気のなかにいるのも嫌。
今でもなお感じてるこの性格は、たぶん僕が一生涯背負って生きなくてはならない十字架だ。
しかし、僕はそんな短所を直したいと思っていた。
もっと強くなりたい。
弱い自分なんて嫌だ。
なんでも良いから自分の殻を破りたかった。
動機なんかわからない。ただそうなるのが生きる意味だと思ってた。
僕は社会人になって3年が経過した頃、海外にその克服の機会を求めた。
僕は元々海外に行きたい気持ちなんて全くなかった。
学生時代から何度か留学に行くチャンスはあったけど、全て拒否してきた。
だって、怖いから。
英語が話せないし、外国人と話したことないし。
小学生低学年の頃、家族で行ったオーストラリアへの旅行で迷子になった記憶もよぎる。
英語が将来役立つ、なんて知らない。とにかく僕は海外に行きたくなかった。
しかし、少しずつそんな恐怖も克服していった。
大人に近づくにつれて、その思いはただ自分がビビっていただけなのかもしれない、ということに気づいた。
そんな甘い思いで大人になっていいのか?
周囲の勧めもあり、大学生になってから、ひとりで海外に行き始めた。
国内線の飛行機のチケットすらまともに買ったことなかった僕は、19歳の時2泊3日でひとり台湾旅行へ向かった。
その時の感動はいまでも覚えている。
台湾に着き、入国審査を越え、空港の外に出た瞬間。
僕は翼が生えたように、なんでもできるようになったと感じた。
そして、これが大人だと思った。
今の僕の目標は、どこでも生きていける人。
それが具体的にどのようなものを指してるかは特に決めていない。
けど、どこに行っても目の前のことに喜び、いつも通り生きていける人になりたいと思ってる。
ついでに、面白い経験をしていたらなお良い。
昔は安定志向だった。だから常にお金は貯金していた。
昔は人見知りだった。だから知らない人に自分から声をかけられなかった。
昔は潔癖症だった。だから旅行ではホテルにしか泊まらなかった。
そういったものは無くした方がいいと思った。
自分の好きな部分を伸ばすより、嫌な部分を消したかった。
こんなんじゃ狭い世界でしか生きられないじゃん。
だから意に反した行動をし続けた。
そしたら少しずつ変わってきた。
それを「成長」だと思っている。
その結果「大人になれる」と思っている。
でもそれってもしかして。
僕は我慢をしながら生きてるのか?
ふと、そんなことを考えるようになった。
今はワーキングホリデーでフランスに来ている。
これは最初から「サバイバル」をしに行くつもりだった。
実際、日本を出る前に会った友達にそう伝えたのを覚えている。
僕は昨年で30歳になった。
台湾に行ったあの頃から10年が経ち、すっかり海外が怖くなくなった。
一つの節目の年。
僕は自らの未熟を省みて、大人になるためのサバイバルをしなければならないと思っていた。
そしてフランスに来た。
ミリタリー関係の人からすれば鼻で笑われるだろう。
しかし、僕はそれでも安定を求めない時間を過ごしにきた。
でも、これって我慢してるよね?
だとしたら、なんで我慢をしながら生きているの?
別に何か悪いことをしたわけではないのに。
最近、ふと自分の方向性がわからなくなってきた気がする。
結局、僕は持続的な成長を求めていて、その上でいろんな経験値をつくっていきたい、という思いが強いのだろう。
本を読んでも充実感は得られても、納得感は得られない。
経験でしか自分で自分のことを納得させられないし、過去の自分を乗り越えられない。
だから、僕は何かにチャレンジする。
そして、そのチャレンジの度が強くなると我慢に近くなり、サバイバル感覚になってしまう。
自分でした行いによって自分がストレスを受けたら本末転倒だ。
マルクスの言う「疎外」だ。
これを回避するにはもう違ったアプローチしかない。
それは一つに、幸福への追求なのだろう。
幸福は、僕が今までずっと考えることから逃げてきた概念。
「どんな結果になっても、自分が幸せだったらそれで良い」
他人に言うことはあっても、なかなか自分自身で理解するのは難しかった。
けど、今がその時なのかもしれない。
もちろん成長したいし、面白い人生を歩みたい。
しかし、結局は幸せだったらそれで良いのだ。
その概念をもっと自分の人生に落とし込まなければならない。
フランスに来て仲良くなった人は、僕の幸福感の低さを鑑みてこう言った。
「逆に今は何が不幸せなの?」
何か思い当たりそうな答えはあったけど、すぐには答えられなかった。
でも後になって、その質問に答えられないことが不幸せなんだと気づいた。
もっと目の前の幸福を意識し、幸せになる。
もちろん自分の目標や理想を実現するのは大事。
でも、まずは自分が幸福になることを目指さないと、それこそ生きてる意味がない。
強くなることは大事。
成長して大人になることも大事。
でも、それだけじゃだめ。
自分の中での幸福感を大事にして、自分を守る生き方をしなきゃ。
30になってから、ようやくその概念に気づいた気がする。
とは言え、そもそも生きてることに意味なんてないんだから、まだまだ考える道は長いかもしれない。
さて、僕は新たにパリでの生活がスタートしました。
これからもフランスでの生活は続きます。
↓ワーホリのきっかけなどはこちらに書いてます。