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方向転換【海外就職への道38】

こんにちは。マニラからお届けします。
今回は前回の続き、コロナ禍でフィリピンに渡航できそうになりながら、台風によりまたも延期になってしまった件についてお話しします。

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2021年12月、東京の空は雲ひとつないとても澄んだ青色でした。僕の実家は住宅街の真ん中にあり高いビルがなく、晴れている日は自室の窓から富士山を眺めることができるロケーションです。そんな空の遠い向こうにある、台風で凄惨な被害を受けたセブ島に思いを馳せながら今日も仕事を始めます。

パソコンを開くと、普段いるメンバーがちらほら休みをとっていました。みんな台風で被害を受けて、仕事どころじゃありませんでした。急遽、フィリピン側のマネージャーから、大きな被害があったメンバーは復旧を優先し、残りのメンバーで補いながら進めていくように、と命令が下りました。自分の仕事が増えたことは仕方ないとして、ずっと一緒に働いていたメンバーが何人も被害に遭ったと聞き、とても心が痛くなりました。

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フィリピンへの渡航がまたも延期になって、さまざまな感情が頭の中を渦巻きました。悲しい、悔しい、ついてない、虚しい、腹立たしい。今でこそ、台風の被害に遭わずに済んでラッキーと思えるけど、当時はそんなこと全く思えませんでした。それだけ、ネガティブな気持ちが強くなっていたし、追い込まれていました。

親しい人からアドバイスをもらい、改めてこのフィリピンでの就職のためにしてきたことを振り返ってみました。

・仕事ができるレベルになるまで英語の勉強
・耐えてきた実家での窮屈な生活
・あと少し、という状況での1年以上の待機
・長時間労働が日常となっていた仕事
・理不尽な待遇の契約社員
・モチベーションの維持

それらは決して簡単なことではありませんでした。前職のように、一般的なサラリーマンとして生きていたら経験しなくてもいいようなことばかりでした。終わりの見えない中での「待機」や「忍耐」は精神面を大きくすり減らします。その上、時間が経つにつれて、海外で働くことへの意欲が低下してきて、その苦しみと向き合う必要もありました。

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マニラにいる同じ会社の日本人社員に忙しい時間を縫って相談してみることにしました。この時点で自分はもうセブ島への気持ちはかなり薄れていて、その代わりマニラへ傾いていました。幸い事情をよく理解してもらったことから、フィリピン側への交渉を手伝っていただけることになりました。

自分の意志と照らし合わせて決めた交渉内容は4つ。
・セブからマニラへの所属変更
・1月中の渡航
・プロジェクトの異動
・評価の見直し

添削もしてもらいつつ、メールの文章を何度も何度も見直してから送りました。グローバルで生きていきたい自分にとって最初の交渉が始まります。

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2022年を迎える頃、交渉によって徐々に状況が変わっていくことになります。

この続きはまた明日。では。

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