パリに住んで働き始めた【フランスワーホリ】
どこからともなく湧いてくる高揚した気持ち。
ただ、落ち着いた瞬間に感じるこの曇天の景色。
パリはそんな理想と現実が入り混じった街だと思った。
Bonjour!
ワーキングホリデーで2024年の6月からフランスに来ています。
無事に2025年を迎えられてから数日後、4ヶ月ほどお世話になった南仏プロヴァンスの町「サン=レミ=ド=プロヴァンス」(サンレミ)に別れを告げました。
そして、次なる拠点、フランスの首都・パリで新たな生活を始めました。
振り返ると、リヨンの語学学校に通った夏の2ヶ月間。
サンレミのレストランで働いた夏から冬にかけての4ヶ月間。
そしてやって来た真冬のパリ。
1年間のフランスワーホリ生活もここで第3章を迎えます。
フランスに来て半年が経ち、徐々にフランスという国が自分のすぐ身近に感じられるようになりました。
この国が持つ魅力、この国の人々の国民性。
日本とは違う複雑な感覚が少しずつ体に染みてきた感覚があります。
それでもなお、花の都パリには別格の漂いがあります。
今回はパリで家を借り、働き始めるまでの流れ。
そして、1週間経った今の気持ちについて書いてみます。
なんでパリ?
南仏プロヴァンスでの生活もそこそこ充実していました。
後ろ髪を引かれる思いもあったものの、僕はこのタイミングでパリに引っ越し、仕事も生活リズムも全て変えることにしました。
なんでパリに住もうと思ったか?
それは、フランスに来るなら絶対にパリに住みたいと思っていたから。
ミーハーな僕が最初に抱いていたフランスのイメージは、パリそのものでした。
ワーホリに来るまで、僕は2回ほどフランスを訪れたことがあります。
パリもそうですが、ストラスブールやモン・サン・ミシェルにも行きました。
フランスという国の魅力を十分感じていました。
しかし、僕はこのどちらでも、パリという街が持つ偉大さに強い印象を受けていました。
それは街としてのカッコ良さ、凝縮されたセンス、そしてイキイキした人々。
世界一の観光大国の中心。
この街がなぜ世界中の人を惹きつけるのか。
実際にこの地を訪れたことで、その理由が少しわかった気がしました。
今回、ワーホリでフランスを訪れるにあたり、僕は1年間で3つの都市に住むことを計画しました。
日本よりも広大な面積を誇るフランスは、場所によって全く異なる文化があることが容易に想像できたからです。
「リヨン、南仏を経てパリに行く」
1年間という限られたフランス生活の集大成をパリで迎えたい。
その気持ちから生まれた計画でした。
途中、細かい部分で計画通りにいかなかったことはいくつかありました。
しかし、なんとか有言実行でパリに来ることができました。
家と仕事を決めた
海外で生活したことがある人であれば、海外で家を借りるのが、いかに難しいかわかるでしょう。
海外では僕ら日本人は、外国人のひとり。
信用を獲得するのがとても難しいのです。
リヨンでは語学学校が用意してくれた学生寮に、南仏プロヴァンスではレストランのオーナーが探してくれたアパートに。
フランスに来てから、僕は家探しを運良く通り抜けてきました。
しかし、今回のパリはそのような後ろ盾はありません。
僕はこれまで半年間の経験をフル活用して物件を探しました。
一人暮らしのみならずシェアハウス(フランス語ではcolocation)など、条件のパターンも増やしました。
いろんな方法を使ってみたものの、やはり簡単ではありませんでした。
パリの物件は詐欺のような案内が非常に多く、半分以上は騙しにかかっています。
最終的には、人づてで紹介してもらった日本人の不動産屋さんと繋がることができ、物件を紹介してもらうことができました。
値段や期間などの条件を伝えたところ、僕がパリに到着する日から住めるように調整してくれたのです。
場所は17区の凱旋門からほど近い場所です。
四畳半程度のとても狭い部屋ですが、ひとりで住む分には問題ありません。
6階ですがエレベーターがあり、トイレのみ共有です。
家賃は600€+電気水道もろもろ。パリの相場からすると安めの物件が見つかりました。
不動産屋さんは入居するなり、家の掃除の仕方を細かく教えてくれたり、ネット工事の手続きをしてくれたり、いろいろとお世話してもらいました。
今回も家に関しては、幸運を掴んだ形になります。
改めて、このように親身に対応してくれる人には本当に感謝の気持ちしかありません。
仕事探しは、南仏に続き2回目だったので勝手がわかっていました。
前回同様、日本人向けの掲示板で求人を探し、気になったところに応募をしました。
パリは南仏と比べて山のように求人があり、探すのは全く難しくありません。
そして、ご縁のあった日本食レストランで働くことになりました。
本当はデスクワークをしたい気持ちもありました。
フリーランスのWebデザイナーの経験を活かしたく、求人に応募していました。
しかし、フランスで、しかも残り6ヶ月未満のビザで、となるとハードルはかなり高くなります。
1ヶ月ほど毎日応募してみましたが、どことも縁がなく諦めてしまいました。
フランスでいわゆるホワイトカラーのデスクワークの仕事をするには、実績を武器にするか、もしくは学生からインターンを経る方法が主流です。
どちらでもない中途半端な状況だと、ほとんど見込みがないのが現実です。
現実を知ってから、素直に日本食レストランにシフトチェンジ。
南仏プロヴァンスで働いていたレストランでは調理と接客を兼任していましたが、今回は求人が多いこともあり、接客一本に絞って探しました。
フランス語で会話したいのもそうですが、僕は調理が好きではなく、モチベーションが湧かないことが素直にわかってしまったからです。
クリスマスが近づく年末の週末、僕は南仏プロヴァンスから弾丸旅行でパリを訪れ、対面で面接を受けました。
接客担当はフランス語力が必須という条件でしたが、経験を加味してくれたこともあり、無事に採用となりました。
僕の今のレベルはB1程度。ギリギリでの採用だったかと思います。
ギリギリの立場ながら、勤務開始日を当初の予定から少し後ろ倒しに変更もらいました。
トゥールーズやボルドーへ旅したかったからです。
わがまま言って申し訳ない気持ちもありつつ、感謝に尽きます。
実際に働き始めてからのことは、今後また書きたいと思います。
パリ市民としての最初の一週間
いろんなことがあった一週間でした。
パリに住み始めることへのウキウキ感、新しく始まる仕事への緊張感、ひとりぼっちの孤独感。
一週間が経って、これらの波が想像以上に自分を襲い、対処しきれなくなってしまってしまいました。
最近のパリはとても寒く、気温0度を下回ることもあります。
そのため、気分転換で外に出ることがまず大変。
空を見上げると厚い雲で覆われて薄暗く、毎日どんよりしています。
冬のパリがいかに厳しい場所か。
南仏での晴れの日々が恋しい気持ちもあります。
僕は南仏プロヴァンスを出発した後、数日間の旅行を経て、パリに着きました。
パリに到着してすぐに新しい家に入居し、その翌日からは早速レストランでの勤務が開始。
心も体も休む時間がありませんでした。
仕事のない時間、部屋でひたすらYouTubeでお笑い動画を見てしまったり、弾丸旅行を計画したり、なにか現実逃避をしないと気が済まなくなってしまいました。
朝は8時でもまだ暗く、起きるのにも一苦労です。
ただ、そんな状況でもそこには美しいパリの街並みがある。
仕事終わりで街を歩いてみると、ポジティブな気持ちが生まれます。
この景色の中に自分がいる。部屋にこもっていてはもったいない!
そんな前向きな気持ちが湧き上がります。
パリが持つ偉大なパワーは住み始めてもなお感じています。
さいごに
働くことになったレストランは2区・オペラ座の日本食レストランが集まる地域にあります。
道が複雑で、面接の際、たどり着くのに一苦労でした。
でも、今は違う。
もう地図を見なくてもいいし、乗る電車を間違えない。
そんな通勤の一瞬に、自分がパリの一市民になった気持ちを感じます。
エッフェル塔を見に行き、シャンゼリゼ通りを歩き、モンマルトルの丘から市内を眺める。
多くの人が憧れたパリの生活が始まりました。
最初だしネガティブなことも感じます。
それでも、この場所にいられることへの充実感も感じています。
一生に一度できたらいいな。そう思っていたパリでの生活。
どんな日々を送ることになるのでしょうか?
「偶発的なものに喜びを覚える」
僕のワーホリでのテーマです。
ここでもひとつひとつの偶然を拾い、面白く楽しい日々を送っていきたいです。
でもまずは、関わる全ての人への感謝を忘れず。
これからもパリでの生活は続きます。
↓ワーホリのきっかけなどはこちらに書いてます。