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気分転換ワーケーション【海外就職への道19】

こんにちは。マニラからお届けします。

今回は前回の続き、コロナ禍でフィリピンに渡航できない中で感じたモヤモヤを払拭するために出かけた沖縄への旅についてお話しします。

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2021年になってもなかなか実現しないフィリピンへの渡航に対し、徐々に焦りが生まれ、気づいたら自分で自分に決断を迫っているようになっていました。いつかはわからないフィリピン渡航のタイミングをじっと待ち続けるか、いっそのこと退職して他の日本企業で働くか、誰に言われるでもなく、この二択から決断をしなくてはならないと思うようになっていました。

実家での生活を始めて丸1年が経過し、親からの扱いも日に日に冷たくなっているのを感じていました。今から5年前の社会人1年目で都内の実家を離れ、2年間千葉で一人暮らしをしていました。その後退職を機に実家に再度世話になることになり、セブ島留学から帰国後の再度フィリピンに渡航するまでの一時的な措置として実家に居候させてもらっていました。親への恩は感じているものの、狭い家と決して安くない居候費、そして縛られた生活などから、住む環境に対してもストレスが溜まっていました。

このまま当面フィリピンに行けないなら、せめてこの家を出たい、そういった思いが強くなっていました。依然、渡航に関する連絡はないし、いっそ遠くに行ってしまいたかったのです。

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夏の暑さが本格的に始まった6月のとある週末、僕は重たいスーツケースを持って羽田空港にいました。両親から疑心暗鬼に思われつつ、がらがらの飛行機に乗り込み沖縄に向かいます。

ストレスが溜まってもう我慢できなくなった僕は、東京から1500km離れた常夏の島へ滞在することにしました。東京も沖縄も緊急事態宣言が発令されていたけれど、僕のこの動きたい衝動は止められませんでした。平日は仕事をしながら休日たくさん遊ぶ、そんな「ワーケーション」を実現しに来ました。

会社のルール的にはかなりグレーゾーンだったものの、理解ある上司には事前に許可を取っており、万一には備えていました。東京も沖縄も同じくらい暑い夏を迎えますが、その土地の空気、におい、気候、自然など様々な要素に沖縄独特のものが見られ、すぐに東京とは違った感覚になれました。

同期一人も一緒に行動することになりましたが、彼は山口県に住んでいるため、今回の沖縄が初対面でした。よくオンライン飲み会などを開催する割に同期は誰一人会ったことがありませんでした。初めて会った時の不思議な感覚は、コロナ禍ならではのものなのかなって思います。

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そんな沖縄での生活が始まります。一旦海外就職のことや都会の喧騒を忘れて、南国でゆったりとした毎日を送ることになりました。

この続きはまた明日。では。

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