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牧場の小さな先輩

 その土地の環境や風景は、様々な方法で体の奥へと染み込んでいって、最後は人の心を染めてしまう。緑の牧草に覆われた小高い丘がどこまでも連なり、小さな白い雲のような羊がのらりくらりと歩いている。気づけば僕の内側も、そんな風景になっている。光と影が交互に差し込む並木道を超えて、馬や牛たちの(あれは誰だろう?)という視線に見送られながら、細い農道に入ってゆく。
 奥の方に、三角屋根の白い家が見える。その周りには家畜を囲う木の柵と、可愛らしいガーデン。それらを取り囲むようにサッカーグラウンドほどの慎ましい牧草地が広がり、その周りは巨大なシダや、常緑樹が鬱蒼と茂っている。牧歌的というには、生命に溢れすぎ、ジャングルというには長閑すぎる。実にニュージーランドらしい独特の牧場風景だ。
 今日からここで働かせてもらうことになっている。ニュージーランドにはウーフという制度があり、一日4時間働くことで、寝床と食事を提供してもらえるのだ。

 家の前までやってきて。少し緊張しながら白く塗られた扉をノックする。すると、奥の方から足音が近づいてきて、勢いよく扉が開く。
「あら、いらっしゃい!あなたがケントね!」
 顔を出したのは、カールした長いブロンドの髪の毛を後ろで結んだ40代の女性。この家のお母さんに違いない。
「さっそく仕事を教えるわね!ちょっと待ってて。キアヌ!こっちに来て!」
 挨拶を交わすや否や、振り返って誰かを呼んでいる。
 奥から出てきたのは綺麗な金髪の男の子だった。小学校低学年くらいだろうか。
「キアヌ、この人が今日から働いてくれるケントよ。仕事を教えてあげてね」
「わかった!」
 男の子は視線をお母さんから僕の方にまっすぐに向ける。
「ケント、今日からよろしく!じゃあついてきて!」
 右も左も分からない場所では、とにかくその環境に適応しようと、思考をする間も無く体が動くものだ。自分の腰くらいの身長の少年の背中を追って、家の中に入り、廊下、リビングを通り抜け、裏口に出る。徐々に止まっていた思考が動き出す。
(この子にどうやって教わればいいのだろうか。本当に大丈夫だろうか。)

 裏口を出ると、視界が広がり一面の牧草地。目の前からずっと奥の方へ農道が伸びている。そこにポツンと一台の赤いバギーが停まっている。キアヌはわきめも振らずにバギーに向かってズンズン歩いて行く。歩くたびにひょこひょこ動く黒い長靴が可愛らしい。バギーの前に着いてキアヌがくるりと振り返る。
「この農場ではバギーの使い方がわからないと仕事ができない。だからまずこれの乗り方を教えるね!」
 きりっとした表情で話し続ける。
「エンジンをかけるのはここ。万が一かかりにくい場合はこっちを確認して。ここがアクセルで、これがブレーキ。こっちがクラッチ。燃料はこのメーターで確認してね。またわからないことがあったらなんでも聞いてくれ!」
 とても分かりやすい説明だ。何も知らない「新人」に、いかに効率的に必要なことを理解させるか。その目的にフォーカスした態度。
 彼の体の大きさと、妙に大人びた振る舞いのアンバランスさに、最初は少し笑いそうになっていた。しかしそのような感情は、彼の誠実な振る舞いによってすぐに消えていった。
 そして、彼が一通り説明を終えると同時に、颯爽とバギーに飛び乗って振り返り、「後ろに乗れ!」と言った瞬間、僕は彼に敬意を抱いていた。後ろに乗り込んで、腰のあたりにつかまると、両手の指が彼の胴体を包み込んでくっついてしまいそうだ。もし力を込めれば、そのまま彼を上に持ち上げられただろう。しかし、その小さな背中は頼もしかった。

 森の入り口まで行くと、キアヌは薪にするための枝の選び方を教えてくれた。二人でバギーに連結している荷台にどんどんと枝を放り込む。ある程度溜まるとまた二人してバギーに乗り込む。少し走って、納屋に到着すると、キアヌは中に入り、奥の方で「ああでもないこうでもない」とぶつぶつ言いながら何かを探し、「あった!」と言って彼の身長ほどもある斧を引きずってきた。「持ってて」と言って斧を僕に預け、壁際に積んである小さな丸太を持ってきて、納屋の中心に置いてある大きな丸太の上に立てる。僕から斧を受け取り、丸太に向かう。「見てて」真剣な表情だ。
「ここに薪を置いて、この斧をこうして…、こう!」
 小さな体で大きな斧を合気道のように器用に振る。カンッ!と乾いた音を立てて薪が二つに割れる。
「こうだよ。やってみる?」
 そうして、人生で初めての薪割りを教えてもらったのだった。

 それからの牧場で過ごす日々の中で、動物の世話の仕方、菜園での植物の手入れの仕方などを教えてくれたのはこのキアヌだった。

 彼の教え方はいつも分りやすかった。教える相手を見下す事なく、純粋にどうしたら僕が理解できるかを良く考えて話してくれた。そして必ず手本を見せてくれた。気がつけば僕にとって、キアヌは頼れる「先輩」になっていた。年齢や見た目は関係なかった。

 この時から、僕の中で「年齢の概念」がすっかり変わってしまった。人の生きてきた時間に対して敬意を払う時、その量が自分より多いか少ないかを気にする必要はどこにもないのだ。何年であろうと、それは僕がしていない経験、学んでいない出来事なのだ。
 8歳のキアヌの生きて学んできた8年という歳月を、僕は経験していない。彼の8年間から学べることは山のようにある。彼が8歳なら、8年先輩なのだ。

 世の中の全てが先輩であり、必ず学べることがある。もしもそれが見つからなければ、それはきっと僕が自惚れて目が曇っている証拠だろう。


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