ブラック企業と認知的不協和の話。なぜ会社をやめられないのか
今回のテーマ
ブラック企業で働く人はなぜ辞めたくなる環境であってもやめないのでしょうか。やめる気持ちを持ちつつも、楽しいという気持ちを持つことで納得しようとしているのかもしれません。今回はそんな話を書いていきたいと思います。
よろしくおねがいします
はじめに言葉の説明です。
心理学の用語で認知的不協和というものがあります
意味は以下の通りです
自分の中に矛盾する複数の情報や気持ちがあると、居心地が悪くなったり不安になったりしませんか? それが、認知的不協和です。
人間はこの気持ち悪さを解消するためにあれこれ理由を考えます
ブラックな環境での適応例
ブラックな環境は変えることができないので、
気持ちや考えを変えようとする
私がブラック企業にいたときはこんな感じ
自分を納得させる理由はいくらでも出てきます。自分が厳しい環境にいるにも関わらずです。環境や事実は変えられない。それならば自分の感情や考え方を変えてしまおう。
(例)イソップ物語のキツネとすっぱいブドウの逸話。
私は、環境の有害性を認識しながらも、常に会社に残らなければならないように自分の気持ちを納得させることに必死になっていたのです。環境は自分では変えることはできないからです。
怖いのは自分でこうした考え方になっていることに気が付かないこと。
私は自分の存在がなければ業務が妨げられ、他者に負担がかかり、業務の流れが混乱すると自分を納得させました。
辛い環境を自己向上の手段として正当化しました。決して高額ではない給料を、他社よりは良いものとして考えるようにしました。
しかし、この正当化の物語は、私が不健康な職場で働くことを延ばすだけでした。
現実と向き合ったとき、私の体はすでにボロボロだったのです。
この時になって、脱出の方法をようやく模索し始めました。
私の幸福を妨げる現実(※)を認識し、ブラック企業の罠から脱するための準備を始めたのです。
脱出は簡単ではありませんでした。上司の引き留め、全然進まない社内手続き、それには慎重な計画、自己反省(考えを改める)、そして忍耐が必要でした。
結局正しいプロセスではなく、病気で倒れるという形で脱出は成功するのですが、ダメージが多すぎました。
経験を通じて、金銭的利益や社会的期待よりも、精神的および身体的健康を優先する重要性を学びました。しかし、その授業料は高くついたのです。
不快感が生じたときに最も簡単で解決が容易な方法を選ぶと、
非合理的な選択になってしまうケースが少なくありません。
今回は自分の気持ちを納得させるということでした。心を守るためには致し方ないかもしれませんが、安直すぎたのです。
なにか不快感を感じたときは、感情よりも客観的なデータを参考に判断したり、頼りになる人物に話してみたりすることが重要です。
相談しやすい人がいるのか
相談できる時間があるのか
データは手に入るのか(会社の内情が把握しやすいか)
客観的なことを利用して判断をくだしましょう。
自分の勤めている会社が従業員に意図的でないにしろ時間を取らせない工夫をしていたり、会社の内情が理解できないようになっている会社はそもそも危ないかもしれませんが。そういった企業は従業員に考えさせないようにしているのかもしれません。
まとめ
自分の経験談と共に認知的不協和の考えを使ってブラック企業をやめられない理由を説明しました。みなさんも体を壊さないようにしてくださいね。
参考になれば幸いです。
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