人生は短い - 脳外科医の僕が47歳で美容外科に転身した理由
はじめまして。
人生初のnote記事です。
読みづらいところ、多々あるかと思いますが、少しずつ慣れたいと思います。
タイトルについてお話したいと思います。
僕が脳外科医を辞め、美容外科に転身した理由は、「仕事は楽しく!を感じられ無くなったから」です。
脳外科の手術は本当に大好きでしたし、今でも顕微鏡を通して広がる美しい脳の世界を思い出すとワクワクします。
しかしそれでも、ある時から、このまま脳外科医として働き続けることに葛藤を感じるようになったんです。
脳外科時代、手術を開始する際には自身と周囲に「さぁ、楽しんでいきますよ」と声に出していました。
命を預かる手術を楽しむなんて表現することは、不謹慎だと思われるかもしれません。目の前の患者への手術は、持てる技術の全てを発揮し、緊張感と責任感を抱いて臨むのは当然のことです。
でも、僕にとってのそれは、同じくらい楽しむべきものでもありました。
顕微鏡を覗いた先に広がる美しい世界――くも膜を切開して見えてくる神経や血管の鮮やかさだったり、出血で覆われた術野を、少しずつ丁寧に血腫を取り除きながらじっくりと作りあげる術野だったり、少しでも血管にテンションをかけたら動脈瘤が再破裂するようなリスクと隣り合わせの緊張感だったり。
それはもう本当に特別で、「これが自分の仕事なんだ」と誇りとともに楽しさを感じられる瞬間でした。むしろ好きじゃないと、とても手術を続けられません。
それでも、脳外科の現場に限界を感じる部分がありました。脳外科は、特に緊急手術の多い分野です。そうしますと、手術の機会が「発生待ち」である現実があります。
悲しい出来事や不幸な事故がなければ、僕の出番はありません。さらに、カテーテル治療の進歩により、開頭手術の必要性が減っている現状では、自分が執刀する機会がどれほど残っているのか、考えずにはいられませんでした。
脳外科の現場では、患者さんの状況も過酷です。脳卒中の患者さんは、ある日突然意思疎通が取れなくなる方が多くいます。脳腫瘍の患者は、自分の状態が悪化している途中経過を認識できないまま寝たきりになったり、逆に進行を理解しながらも日々何かを失っていく自分を自覚する方もいます。その中で、後悔の念を口にする患者さんも少なくありません。
「~したかったなぁ」という言葉。それを聞くたびに胸が痛みました。
「ゴルフしてーなー(涙)」と何度も呟いていた60代の患者の無念さ、昨日のように覚えています。
「~」は、何にでも言い換えられます。旅行、仕事、家族との時間、趣味……でも、その人がそれを実現することは、もう永遠に叶わないのです。想いを言葉にすら出来ないことも。
そうした現実を目の当たりにして、僕は「やりたいことをできるときにやること」の大切さを強く感じるようになりました。
面白味を感じられないことに時間を費やすほど、人生は長くない。そう思うようになりました。
もちろん、転身を決意するまでには迷いや葛藤もありました。脳外科医としての道を諦めること、ロボット手術など他の外科分野を選べばもっと楽しめたのではないかという未練、また自分の転職の選択が正しいのか分からない不安、周囲からどう思われるか――いろいろな感情がありました。
しかしそれでも、新しい世界に挑戦することを決めました。46才の終わり頃でした。
月日がたち、現在勤務する美容外科クリニックでは、勤務時間の大半を手術とカウンセリングに費やしています。
脳外科の臨床とは全く異なる世界で、体力的にも精神的にもタフな日々ですが、『さぁ、楽しんでいきますよ』と言って執刀を開始できる今の環境がそこにはあります。まさに望んだ環境にいます。
47才になるタイミングでの転身は、かなり遅く、多くの方は真似しない方が良いと思います(笑)。
転身の選択が正しかったかどうかは分かりませんが、積み重ねてきた経験があったからこそ、今こうして新しい世界でも手術そのものを楽しめていますし、決断に後悔はありません。
僕にとって、手術をするということは技術だけではなく、患者さんやスタッフとの信頼関係を築き、自分自身が楽しむことです。
そういう意味で、美容外科というフィールドは、僕には合っていたのかもしれませんね。
もし、同じくらいのタイミングで転職に悩んでいる方がいましたら、僕でよければお話聞きますよ(笑