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ジョット・ディ・ボンドーネ ルネサンス美術の扉を開いた男 

ルネサンスとは、「再生」「復活」などを意味するフランス語で、一義的には古典古代(ギリシア、ローマ)の文化を復興しようとする文化運動でイタリアで始まりました。
なぜイタリアのことなのにフランス語かというと、この言葉が19世紀のフランスの歴史家ジュール・ミシュレが著した『フランス史』第7巻(1855年)で ‘Renaissance’という標題を付け、初めて学問的に使用したからこれが広まったのです。
それがどのようにして始まったのか。
ルネサンスになったからといってそれまでのゴシック様式が急に廃れたわけでもないし、ルネサンス的な様式がそれまで全く見られなかったかというとそうでもなく、徐々に変化した結果をルネサンスと呼んでいるのです。それではどのように変化していったのかを
聖母子像という共通の画題で見ていきましょう

さて、ゴシック期後期の画家として有名なのはドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャです。(1255/1260年頃 - 1319年頃))彼の「ルチェライの聖母」はこれです

ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ《玉座の聖母子と6人の天使(ルチェライの聖母)》

荘厳な絵だということは承知の上で
現代の写実を知っている観点から見ると・・・・
➖天使の顔がみんなおんなじ
➖聖母の顔が死んでいる
➖指が異様に長く、手足の形が変
➖イエスが膝に抱かれている感がない
➖布のひだの陰影がくっきりし過ぎ
➖椅子が整体正体しているのに側面がしっかり見えるなど、遠近法がいびつ
というようなおかしさがあります

次にルネサンスのちょっと手前の画家で、ジョットの師匠であるチマブーエ(1240 - 1302年頃)のサンタ・トリニタの聖母という絵を見てみましょう。

チマブーエ_荘厳の聖母(サンタ・トリニタの聖母)

どうでしょうか?ドゥッチョの絵と比べて・・・・
➖聖母の顔が人っぽくなった
➖顔色良くなった良くなった
➖イエスが膝に乗っている感が出てきた
➖布のひだが複雑になってきた
➖遠近法が取り入れられて、側面が見えるなどのおかしさが減少した
とリアルっぽくなってきました。

そしてお待ちかねジョット・ディ・ボンドーネ(1267年頃-1337年)のオニサンティの聖母の登場です。

ジョット・ディ・ボンドーネ《荘厳の聖母(オニサンティの聖母)》

ジョットではさらに改良があり
➖天使の顔にバリエーションが出てきた
➖肌の色がさらに自然に
➖聖母の顔が慈しみがありつつ荘厳な感じに
➖布のドレープ感がでてきて柔らかな質感が表現されるようなった
というようにより人間っぽくよりリアルに描かれるようになりました。これがルネサンスの扉を開いたのです
※イエスの顔が赤ちゃんらしくないのは神の子だからこれで良いそうです。

いかがでしたか?「そんなに違わないじゃないか」という意見がありそうですね。私も最初はそう思いました。本稿の前半に書いたように、徐々に変化した結果をルネサンスと呼んでいるにすぎず、(絵画美術においては)後期ゴシック→初期ルネサンスで劇的な変化は少ないです。(ルネサンス後期になるとより立体的になり、遠近法がしっかりしてきます)。
それでもこの小さな変化を成し遂げたジョットはルネサンスの扉を開いたといって良いでしょう。

なお、今回ご紹介した3つの絵は全てイタリアのフィレンツエにあるウフィツィ美術館に所蔵されています。私は現物を見たことはありませんが、何か並んで展示されているとか?
並べて違いを鑑賞してみたいですね。

なお2
ルネサンスの扉を開いたのはジョットだという説には異論もあります

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