「執着の対象」と「才能」について
ぼく、カツセマサヒコさんのLINE@を登録してるんですね。
コンセプトは『彼氏面して連絡してくる』です。
それでこの前、こんなメッセージが届きました。
1ヶ月前くらいに、南海キャンディーズの山ちゃんが結婚したときのものです。
山ちゃんのTwitterアカウントを送ってきたんですが、、
人の『いいね』欄なんて、見たことありますか!?
まあ100歩譲って、自分の好きなインフルエンサーがどんなツイートにいいねしてるのかな(どんな情報を普段摂取してるのかな)みたいなことはあるとしても、今回のパターンって、絶対特に目的もなくふと『あっ、そういうえば山ちゃんってどんなツイートにいいねしてるんだろ?』で見に行ったはずです。
最初このLINEがカツセさんから送られてきたとき、良くも悪くも『そんなところまで気になるの!?』と思いました。
少し話は変わりますが、ぼくは『才能』の話になると、よくえとみほさんのこのnoteを思い出します。
タイトルは『「才能」の定義』で、本文の表現を借りてこのnoteの主張を一言で言ってしまうと『才能とはつまり一般的なプロであれば見逃さない「違和感」に気づけるかどうかなのではないかと思う。』というものです。
この才能の定義を踏まえたうえで、カツセさんの話に戻ります。
さっきも言った通り、ぼくは最初『そんなところまで気になるの!?』と思いました。
ただ、よくよく考えてみると、これはSNSを主戦場で戦っているカツセさんの『才能』だよなと気づきました。
ぼくたちSNSのプロではない人たちは、結婚していくら話題だからって、山ちゃんのいいね欄を見に行こうとは思いません。
でもカツセさんは、ふと『いまはめっちゃお祝いメッセージが届いてるはずだから、それにめっちゃいいね爆弾してるはずだ!→あれ、全然してない!!』という違和感に気づいたのです。
ただ、これはもう立派なカツセさんの才能なのに、どうしてぼくは最初、悪い意味でも『そんなところまで気になるの!?(ちょっとストーカー気質ある行動じゃない!?)』感じてしまったのか。
それは、違和感の対象が『人間』だったからです。
ちょっとした違和感に気づくためには、徹底した観察と執念(+そしてその観察と執念を苦に感じないことが望ましい)が必要なのですが、その観察対象が『人間』になると、どうしてもぼくたちはちょっとしたストーカーっぽさを感じてしまうのではないかというのが、ぼくの仮説です。
この執念を向ける対象が例えば野球だったら、それをぼくたちは熱血野球少年とみなします。
カツセさんの場合は、その対象がたまたま『人間』だったというだけです。
しかもカツセさんは面白い企画や文章を書いたりすることがメインの仕事なので、『人間』の違和感に気づきやすいというのは、とても理にかなっています(ナゾの上から目線)。
男の場合、特に一歩間違えれば『女々しい』などと曲解されることもあるんですが、それは立派な才能なんだなと、カツセさんからのLINEを見て思いました。
ただ、この『徹底した観察』ができる執念は、ある程度は有限なものだと思うので、『自分がそこに注意を割くべきなのか?』というメタ認知は必要かも知れません。
TVで連日放送されている芸能人の不倫騒動に対して、ホリエモンさんや孫正義さんが一切興味を持ってないのは、自分のやっている宇宙事業やAI事業に注意を向けるので精一杯だからです。
よく『他人の不倫に口出してるのは暇人』なんて言われますが、それはけっこう的を射ていて、他人の不倫にあーだこーだ言っている人は、他に執念を燃やすべき対象を持ってない人というのが多いと思います。
というわけで、なんの違和感に気づくかは人それぞれの才能だし自由だけど、たまには『それは本当に気づくべき違和感なのか?』という見直しは、たまには大事かもねという話でした。
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