コミュニケーションにおいて「要約」が害悪になるとき
コミュニケーションすることにおいて、『要約』することはとても大事だと言われます。
『つまりはこういうことだよね?』と相手の話をまとめることにより、相手は『あ、ちゃんと話を聴いてくれてるんだ』『自分の言いたいことが伝わってるんだ』と、安心することができるからです。
ただ、場合によっては要約をすることによって、相手に『いや、つまりはそういうことなんだけど.......自分のこの熱い想いを、そんな簡単なひとことでまとめられたくない!!』と、モヤモヤさせてしまうこともあるかもしれません。
そうなると、その要約が正確無比であればあるほど、逆効果ってこともあります。
『自分がこれだけ悩んで考えてもがいていることを、そんなちょっと聞いたくらいで分かった気にならないで!』と。
つまりコミュニケーションにおいては、ときにあえて要約『しない』ほうがいいこともあるのです。
そしてそれは相手がメッセージとして、話の『質』ではなく『量』を伝えたいときです。
この『量』というのは、『過程』や『複雑性』と言い換えることもできます。
そもそも要約というのは、話の『量』や『過程』、『複雑性』を削ぎ落として、その核にある『質』を抽出化する行為のことです。
だから、たとえばぼくがAさんのことをちょっとしか好きじゃなくても、めっちゃ好きでも、笑顔がかわいくて好きになっても、Aさんが目標に向かって一生懸命に努力している姿を好きになっても、『質』だけを取り出すと『要は藤本って、Aさんのことが好きなんでしょ?』です。
でも、このときぼくが伝えたいのは『ぼくはAさんが好きだ』という『質』ではなく『ぼくは”めっちゃ”Aさんのことが好きだ』といった『量』や、『Aさんの笑顔に惚れたんだ』という『過程』かもしれません。
そこで相手の伝えたいメッセージが『質』なのか『量』なのかを見誤って、ぼくがいかにAさんのことが好きか、どういうところを好きになったのか、一見すると欠点に見えるこういう性格もあるんだけど、実はそれもAさんのこういった長所の裏返しで.......と長々と話したあとに『要はAさんのことが好きなんだよね?』とまとめられてしまうと、ぼくとしては『うーん.....いや、そうなんだけど......』となってしまいます。
要約がかえって、『えっ、ぜんぜんぼくの話(=伝えたいメッセージ)を分かってくれてないじゃん!』というモヤモヤを引き起こしてしまってますね。
じゃあ、相手のメッセージが『質』ではないときにどうすればいいのかというと、相手の受け取ってほしい『量』『過程』『複雑性』を、要約せずにそのまま受け取ることなんじゃないかと思います。
『藤本は本当に、Aさんのことが好きなんだねえ』という、一見その『量』をちゃんと受け取ったかに見える返答は、結局『量の要約』でしかなくて、『いや、おれのこの想いを”本当”なんて2文字にまとめないでくれ!』となります。
そんな面倒くさいやつの相手なんかしてられるか!となるかもしれませんが、人には誰だって、ただ吐き出したいとき、言語化したいだけのときがあります。
『量、過程、複雑性をそのまま受け取る』は、具体的にどうすればいいんだというのは、ぼくもまだ思案中です......
こればっかりは、実体験を積み重ねて試行錯誤してくしかありません。
ただ、『あえて要約』しない選択肢があるだけでも、ぐっとコミュニケーションの確度は高まるんじゃないかと考えている今日このごろです。
▼『質』をやり取りするコミュニケーションのほうがそりゃ効率的なんですが、それ以外のコミュニケーションにもまた違った大事な価値があるよなあということを書いたnoteです!