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「好きを仕事に」を履き違えてはいけない

少しまえに、こんなnoteを書きました。

要は『最近めっちゃ文章を書いてるよー!』という話なんですが、その書いてる文章のなかには、目先の1銭にはならないものも多々あります。

例えば日報や、あとぼくインスタのストーリーもたまに暇つぶしで更新してるんですが、飲み会で乾杯するシーンや2次会でカラオケ行ってるシーンは一切載せないで、ひたすらテキストを投稿してます。

ちなみに、さっき更新したストーリーはこれ。

基本、こんな感じです。

それで、今日はどういう話をしたいのかというと、最近よく言われる『好きを仕事に』みたいな話って、ぼくのなかで2種類あるなと思っていて、1つが『その好きが仕事になるなら、逆に仕事以外の場面でその好きを発揮するのはもったいない』で、もう1つが『好きが普段の生活から漏れ出ていて、仕事としてアウトプットされているのはその一部(≒凝縮されているもの)』です。

どっちが良いとか悪いとかじゃないですが、芸人さんを例に出すと前者は『テレビや舞台ではめっちゃテンション上げて話すけど、楽屋や普段の飲み会ではそんなに喋らない』みたいなタイプで、後者は『ずっとどこでも話してる、人を笑わせてる』みたいな感じ。

それで、さっき良いとか悪いとかはないと言ったんですが、結果的に世の中でその道の第一人者と言われているような人は、後者タイプの人のほうが多いなあというのが、ぼくが最近感じていることです。

明石家さんまさんって、常に喋り続けてるらしいですね。

そのことに気づいてから、救われたと言うと大げさですが、『あ、ぼくもどんどん”無駄な”文章を書いてもいいんだ』と少し気が楽になりました。

というのも、ぼくまた先月から働きはじめてから、一応wevnal(ウェブナル)でのいまの肩書はライターですし、関西でやってる事業もゴーストライティングなので、とにかく『書くこと』でお金をもらってます。

書きたい記事、書かなきゃいけない記事がたくさんあるなかで、ぼくは日報を書いてる場合なのか、ストーリーでふざけてる場合なのか、そっちに書くエネルギーを注いでいいのかと思うこともあったんですが、その根底にあった『もったいない』という感情は小さくなりました。

ここから先はロジックがまだ確立されてなくて、あんまりうまく言えないんですが、ぼくはお金を欲しいからとか仕事だから文章を書いてるわけではなく、単純に文章を書くのが好きだから書いてるだけです。

(そうじゃかったら、半年以上もの間ほぼ毎日note書かない)

結果的にそれが仕事になったりお金になったりすれば、それはそれで嬉しいですが、それはあくまでも結果。

あと、仕事じゃないところでも文章を書くから、仕事で文章を書くことに対する息抜きにもなるし、お金にならないところでも文章を書くから、そこで文章がうまくなって、結果的にお金になる文章の質も上がります。

そう思えるようになってから、場所場合を問わず文章を書くことへの抵抗が小さくなりました。

あ、けどこんなふうに書くとぼくが文章を書くの大好きマンみたいになってしまいますが、もちろん他の息抜きとして本を読んだりYouTubeを観たりすることもあります。今日はすごい盛ってます。

ということで、今日は何が言いたかったのかというと『好きを仕事に』は素晴らしいことだけど、別に好きが仕事になったからって、仕事以外の場面でもその好きはやってもいいよね?むしろ推奨だよね?ということです。

だからやっぱり、ぼくはこうして今日もnoteを更新します。

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藤本 健太郎 / 編集者
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