できる限り「性善説」で生きていきたいよね
卒業論文の資料として、下の論文を読んでました。
タイトルは直訳すると『ロボットの見た目と話は、人の態度に影響を与えるのか?』です。
>Do robot appearance and speech affect people's attitude? Evaluation through the Ultimatum Game https://www.researchgate.net/publication/235821936_Do_robot_appearance_and_speech_affect_people's_attitude_Evaluation_through_the_Ultimatum_Game
実験の概要を最初に書いておくと、実験では『最後通牒ゲーム』というものが行われます。
辞書的な定義を読めば読むほど複雑に感じるので、一旦はてなキーワードの定義を引用すると、、、
「報酬」を2人でどのように分配するかというゲームで、心理実験として用いられる。
ある1人(仮にAさん)には報酬配分の提案権を、もう1人(仮にBさん)には提案された報酬配分への拒否権を与えるという2人2段階ゲーム。Aさんが報酬配分を決定できるが、Bさんが拒否したら2人とも報酬を失ってしまう。提案者のAさんは自分の取り分を多くしたいが、Bさんが不公平な分け方を拒否する可能性があり、安易な解決を目指せば公平な報酬配分を選択する。
と説明されています。
これがたぶん、一番分かりやすいです。
例えば100円があったとして、それを『自分は90円で、相手は10円にしよう』と、自分がたくさんもらえるような提案を、Aさんはすることができます。
しかし、その分配を実行するかどうかはもうひとりのBさんが決めるので、あまりにもBさんへの分け前が少ないと、Bさんはその提案を拒否することも可能です。
拒否すると、両方とも受け取る金額が0円になります。
Aさんもそれはイヤなので、Bさんに納得してもらえる、かつ自分ができる限り多くもらえるようなギリギリのラインを探ります。
一方で、Bさんはたとえ10円でも20円でも、0円よりは多いので、どれだけ自分がもらえる金額が少なくても、提案を受け取ったほうが一見お得なように感じるのですが、、、
これが意外と、自分に不利な分配割合だと断るケースが多くなります。
この実験、心理学や経済学の分野でよく使われるんですが、上記のような傾向(=Bさんはどんな割合でもOKしたら多少なりともお金はもらえるのに、あまりにも極端な割合だと断るケースが増えること)を引っ張って、『人間は往々にして絶対的ではなく相対的に幸せを測りがちだ』みたいな説を言われることもあります。
それで、今回の実験でもこの最後通牒ゲームが用いられているんですが、タイトルに『ロボットの見た目と話』と入っているように、少しだけアレンジが加えられています。
そのアレンジというのは、実験参加者と最後通牒ゲームを行うペアの相手が、『ノートパソコン』『人間の形をしたロボット(ペッパーくんみたいな感じ)』『アンドロイド(ラブドールみたいな人間そっくりのロボット)』『本物の人間』という、4種類の相手と順番をランダムにして最後通牒ゲームを行った点です。
実験の目的としては、『相手がコンピュータやロボットのときに、最後通牒ゲームでの提案の分配割合や、逆に提案されたときのYes/Noの割合は変わるのか?』ということを調べることがメインです。
それで、これだけ長く前置きをしたくせに、きょうのnoteの内容は実験のメインの目的とは多少ズレます......。
きょうのnoteは、結論から言うと『提案の受容において、提案の内容そのものよりも、その背後にある意図の有無とあった場合の意図そのものが大事だな』です。
この文章だけだとイマイチ分かりづらいので、実験の説明と合わせて、もう少し話を進めます。
実験では、1人(個?)の相手(=ノートパソコンとか人間の形をしたロボットとかの4種類)に対して、2ステップの手順がありました。
ファーストステップでは、実験参加者とノートパソコン(など)が、事前に全く話をすることなく、お互い交互に金額の提案と判断を下します。
そしてツーステップでは、ファーストステップが終わったあとに、相手とちょっとした雑談(コンピュータやロボットには事前に簡単な会話プログラムが入力されていて、2~3ラリーくらいの雑談なら可能)を行います。
その雑談を経て、お互いに再度金額の提案と判断を行います。
ここで面白かったのが、ノートパソコン(図での表記は『左端のComputer』)が実験参加者に対して、実験参加者が不利な金額割合を提示したときに、1回目(=事前に全くコミュニケーションを取らない)よりも2回目(=1回目終了後にちょっとだけ会話した)のほうが、実験参加者の提案拒否率が上がったのです。
(ちなみに、図を見て分かる通り、ノートパソコン以外の3者は、みな拒否率が下がっている)
(引用: https://www.researchgate.net/profile/Shuichi_Nishio/publication/235821936_Do_robot_appearance_and_speech_affect_people%27s_attitude_Evaluation_through_the_Ultimatum_Game/links/0c960534b8ba7c39af000000/Do-robot-appearance-and-speech-affect-peoples-attitude-Evaluation-through-the-Ultimatum-Game.pdf?origin=publication_detail)
これ、めちゃくちゃ面白くないですか!?!?
論文中の考察によると(ぼくの英語読解がトンチンカンでなければ)、実験参加者は1回目に自分に不利な提案をされたとき、『まあコンピュータだからランダムに割合を決めたのだろう』と思って提案を受容していたものが、
ノートパソコンとの雑談(=英文読み間違ってなければ、ノートパソコンにも簡単な音声会話がプログラムされていた)を通して、『あれ、このコンピュータ意外と人間の意志が反映されているぞ(=人間っぽいぞ)』という感想を持ったのではないかということです。
つまり、2回目に不利な提案をされたときは『たまたまプログラムだから仕方ないか』ではなく『ある程度意図的にこの割合を設定してきているな』と思って、『だったらムカつくから拒否だ!』となったのではないか、と考察していました。
逆に、それ以外の3者の拒否率が下がっているのは、雑談を通して多少なりともの信頼関係や親近感のようなものができて、少しくらい割合が不利でも『まあこいつの提案ならいいか』となったのではと。
これで、きょうの結論『提案の受容において、提案の内容そのものよりも、その背後にある意図の有無とあった場合の意図そのものが大事だな』をもう一度引っ張り出すんですが、ノートパソコンに対して、1回目と2回目で拒否率が変わったのは、そこに『意図の有無(=自分が得をしようとかどうとか)』を感じたからではないかということ。
それで逆に、1回目より2回目のほうがそれ以外の拒否率が下がったのは、意図があるのは元々1回目から感じていたけど、それをコミュニケーションを通して信頼関係が少し構築できたので、『まあこんな提案になったけどいいか』とか『なにか裏の考えがあってこの割合にしているのかもしれない』という風に(勝手に)意図を汲み取って、提案を飲み込む場面が増えたのではないかということです。
これって、人間同士のコミュニケーションでも、めちゃくちゃあるあるな話だと思います。
特に意図はないのに、受け手側が過剰に意図を感じ取ろうとして、勝手に喜んだり、傷ついたり。
あと一瞬自分が納得できない提案や意見があったときに、元々持っている相手の信頼度に応じて、『なんちゅうしょうもない提案をしてるんだ』と思ったり、逆に『これは絶対に裏になにかしらの目的があるに違いない(=良い意味で)』と思ったり。
人間って基本的にも究極的にもお互いにわかりわかりあえないからこそ、よくも悪くも想像力が大事になってくるんですけど、そのときに、自分が提案する側としてはそこにポジティブな意図を感じ取ってもらいたいし、逆にぼくが受け取る側としては、常にポジティブな意図を汲み取れるような人間でありたいなと思いました!あと、もちろん過剰に意図を汲み取ろうとしすぎないことも大事!
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