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エモい感性をロジカルに会得する
人間をあえて強引に二元論で語るとき、「ロジカル型orエモ型」やもっと雑なものでいけば「右脳型or左脳型」のようなものがあると思う。
ここらへんは実際にはグラデーションの領域であり、かつ的確に言語化することは難しいけれど、なんとなくイメージは分かってもらえるはず。
ぼく自身は根っこはロジカル型であると自覚している。
なんなら、エモ型は感情に身を任せて、近視眼的施策を打ちすぎだ!と、忌避するくらいのスタンスをとっていたけれど、去年くらいからその考えを改めている。
きっかけは『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』という名著に出会ったことだ。
そこでは、本noteでいう「エモ型」のこれからの時代における重要性が、とてもロジカルに書かれており、ぼくは早速一眼レフカメラを買った。
当時のブログ:ロジカルシンキング命!は、もうオワコン
この本を読んで以来、ぼくは一見無駄にみえるようなものや、直接的にはじぶんに役立たなそうなものにも、積極的に触れるようにしている。
具体的には、音楽を聴いたり、映画を観たり、小説を読んだりといったことだ。
そうやって感性を磨き、ひとを巻き込んでいくエモ型の良さを取り込もうとしている。
ただ、そうしてエモの要素をじぶんのなかに取り込めば取り込むほど、根っからのエモ型人間へのリスペクトが生まれる。
ぼくは、悪く言えばある種打算的にクリエイティブなものに触れているわけだけど、彼ら彼女らは、本心からそういうコンテンツに触れている。
ぼくがいまなんとか獲得しようと腐心している「文化的なものへの欲求」を、混じりっけなく保持している。
そこで、最近考えているのは、最初に身につける素質は、ロジカルと、エモ、どちらのほうがいいのかな?と、エモスタートのひとは、どういう過程を経てロジカル思考にたどり着くのかなということだ。
ひとを短期的に動かすのはエモの要素がおおきいかもしれないけど、中長期的にわたってモチベートさせ続けるにはロジックが必要不可欠だ。つまり、最初はじぶんのなかにどちらかの要素しかなくても、いずれは両要素を使いこなす必要がある。
どうせ両方もつんだけど、最初はどっちの要素を身にまとっていたほうが、もう片方の要素を得るさいにズムーズなのか。
そして、根がロジカルタイプのぼくには、エモドリブンなひとの気持ちが深いところまではわからないので、どういう道を経てロジカル側にもやってくるのか、興味がある。
その2つの課題について、引き続き考察を重ねていこうと思う。
★ロジカル型とエモ型で評価が分かれる(とぼくが勝手に思っている)映画、『グレイテスト・ショーマン』。
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