「結果に価値がある」と「過程に価値がある」の両者を隔てるもの
「過程」と「結果」の関係性は、よく論争の議題に上がる。
「結果よりもその過程が大事だ」とか、「結果が出ないと意味がない」とか。
ぼくはどちからと言えば後者の意見寄りだが、とは言うものの、完全に過程の価値を無視するのも、少し議論が雑な気がする。
そんなことを何となく考えていたとき、ふとNewsPicksにある糸井重里さんの記事を読んだ。
そこに、こんな記述があった。
これを取得すること自体には、そんなに意味はありません。でも、こういうルールを知って、社会的に認められた会社であろうと身を正していくプロセスのなかで、会社の空気が変わっていくんです
■JASDAQ上場のほんとうの理由(※有料記事です)
https://newspicks.com/book/713/article/2193025
これは、会社としてISOという認証資格を取るかどうかみたいな話をしていたのだが、これに関しては糸井さんは「その過程に価値がある」という話をしていた。
で、ぼくなりに色々と考えてみた結果、ひとつ思いついたのは、「結果が"絶対的" に決まることに対しては過程に価値が生まれ、"相対的"なものは結果に価値を見出される」という仮説。
結果が絶対的に決まるものは、例えば話に出てきた資格取得や上場などなど。ある一定の条件を満たせば、目的を達成することができる。
逆に、その条件さえ満たせばある意味"誰でも"その資格なりなんなりを獲得することができるため、その結果自体に希少性(=価値)はあまり生まれない。
だからこそ、その基準を超えんとする過程に結果が見出だせる場合のみ、それによってたどり着く結果を目指すのだ。
次に、結果が相対的に決まるものとしては、ビジネスやスポーツの大会などがある。
これらはすべて、基本的にはその結果にこそ皆が注目し、称賛する。
それはこれらのフィルードは、基本的に外的要因が結果に与える影響が大きいからだ。
つまり、頑張った人皆が1位になれるわけでもないし、いわゆる成功するわけでもない。
だからこそ、限られた者しか獲得することのできないそのトップの称号に、価値が生まれるのだ。
めちゃくちゃ強引に二元論の枠組みを作ったので、例外や条件などもあるだろう。
ただ、その結果が"絶対的"なのか"相対的"なのかという基準は、我ながら一つ面白い観点だなとは思う。
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