「多様性」の生まれかた
一昨日から『セイバーメトリクスの落とし穴』を読んだ感想を書いてたんですが、昨日とあるイベントに行ってきて、そこでの話が面白かったので、一旦感想シリーズを中断して、こっちのイベントで聞いて面白いなと思った話について書きます。
とあるイベントというのは、heyの佐藤さんとCoineyの佐俣さんによる『小売×決済』をテーマにしたイベントです。
細かい話は明日以降に書くとして、今日はとりあえずスポットで面白かった話について書きます。
※ここから先は、あくまでもお二人の話を聞いたぼくの解釈です。
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その話というのは、今日のnoteのタイトルの通り『多様性が生まれるとき』についての話です。
一般的に、多様性は『国が豊かになったとき』に生まれると言われています。
ここでの多様性とは、一旦、価値観や好みが人によってバラバラになることであると定義とします。
豊かになって人々の金銭的・精神的両方の意味で余裕が出てくるから、そこで多様性が生まれるんだと。
ただ、そこで佐藤さんは『それよりももっと多様性に寄与する要因がある』と言っていて、それは『メディアの選択肢』です。
日本が戦後間もない頃、みんな同じようなものを買って、同じような音楽を聞いて、同じような髪型をしていたのは、国が貧しかったからではなく、接していたメディアの種類が少なかったからです。
スマホがなかった当時、主なメディアといえばテレビですが、それもいまと違って3~4つくらいしか、放送されているチャンネルがありませんでした。
つまり、極端な言い方をすると、全員が全員テレビで、みんな同じようなコンテンツを摂取しています。
情報源が同じ(=接触している情報が同じ)なので、そりゃ価値観や好みだって似通ってきます。
ぼくたちが、戦後間もないころ、金太郎飴のごとく同じような人たちがまちなかに溢れかえったのは、貧しかったからではなく、接しているメディアの数が少なかったからです。
そして、ぼくたちはいま、『ソーシャルメディアのタイムライン』という、一人ひとりに最適化されたメディアへの接触頻度が最も高いです。
誰一人として全く同じタイムラインを眺めていることはないと思うので、自然と価値観や好みも細分化されていきます。
『ふだん音楽は何を聞いてるの?』で、相手からの答えに『ああ!自分もそれ好き!』とか『ああ!それ知ってる!』の頻度が、ここ数年なんと低いことか。
なので、heyの佐藤さん曰く、インドはGDPという観点での豊かさはまだまだだけど、ひとりひとりスマホを持って自分に合った情報に接しているから、国にはとても多様性があるようです。
これはとても面白い話だなあと思いました。
ということで、今日はどのようにして多様性は生まれるのかという話でした。
多様性は豊かさによる余裕から生まれるのではなく、接しているメディアの数から生まれてくるのです。