平手友梨奈を語るとき、僕は無傷でいられなかった(それは当然の話)。
平手友梨奈さんが欅坂46からの脱退を発表しました。
アイドルの世界ではグループからの脱退を“卒業“と表現するのが一般的なマナーとなっていますが、今回は平手友梨奈さん本人の意思によるり“脱退”と発表されたそうです。
彼女は脱退発表当日、ラジオ番組で脱退について「(理由を)今はお話したいと思わないので、いつか自分が話したいと思ったときにどこかの機会があればお話しさせていただこうかなと思っております」と多くを語らなかったので、真相は分かりません。しかし、この”脱退”という表現には、多少の”挫折”的なニュアンスが含まれていることは間違いないと思います。
筆者はライター、そして音楽批評家として、平手友梨奈さんについていくつかの原稿を書いてきました。正確には欅坂46に関する原稿なのですが、どうしても話題の中心は平手さんになってしまいまがちでした。ここではそれらの原稿を振り返ってみたいと思います。
1.欅坂46「サイレントマジョリティー」が10年に1度のポップソングである7つの理由
筆者の平手友梨奈さんとの出会いは、この記事を読んでいるであろう多くの方々と同じように、欅坂46のデビューシングル「サイレントマジョリティー」のMVでした。
この原稿では同曲をMVを一つの完成形とし「10年に1度のポップソング」と評し、そう考える理由をいくつか解説しています。
欅坂46に対する批判の代表格として「お前たちこそが、秋元康ほか大人たちに操られているアイドルに他ならない」という物言いがありますが、ここではそうした疑問を明らかにした上で、そこを突破する可能性として平手友梨奈さんの存在があると指摘しました。
本原稿は「サイレントマジョリティー」MVが発表されて半月程度で書いたこともあり、いわゆる”ロッキング・オン的”、つまりロック雑誌的な文体で欅坂46を語った最初のテキストだと自負しています。もちろん自分が書かずとも、誰かがこうした語り口で彼女たちを評したとは思いますが、これが一つの雛形となったことは間違いありません(本物のロッキング・オンが彼女たちを扱うのは2ndシングル以降です)。しかし、それゆえに、後の平手友梨奈さんを苦しめた一因となったであろう安易なカリスマ視の一助となってしまったのではないかと、個人的に悩む原因ともなりました。
ちなみにこの「10年に1度」という表現には、記事中にあえて入れなかった理由があり、それは「AKBのデビューから10年後にリリースされた作品」というものです。
2.永遠とは何か。欅坂46「二人セゾン」が描く生と死と恋
そして次に書いたテキストがこちら。個人的に欅坂46のベストソング第1位である3rdシングル「二人セゾン」についてのやや狂気じみた原稿です。
狂気じみさせた理由は一つ。前回の原稿が大きな反響を呼び(その影響があったと考えるのはおごりでしょうが)”シリアスな欅坂46語り”が増えていたこと、テレビ等でも欅坂46を「笑わないアイドル」と過剰なイメージづけを行なっていたこと、それらに対する反動でした。
アイドル以外の音楽、そして映像作品をリファレンスとして広い視点で語ることで、「カリスマ平手友梨奈率いる笑わないアイドル集団」という文脈から離れたところで、「二人セゾン」という名曲を語りたかったのです。
結果論ですが、本作はそうした”キャラクター性”と無縁のところでその魅力が完結した、グループ唯一のシングル曲となったと思います。
3.欅坂46「1周年ライブ」レポート 残酷なループに立ち向かい、全身で叫ぶ少女たち
そして次は「欅坂46 デビュー1周年記念ライブ」のレポートです。
書き手としてテクニカルな話をすると、リリース順に並べられたセットリストにインスパイアされ、通常のライブレポ形式をなぞりながらも、欅坂46初心者でも彼女たちの歴史を追体験できる”入門記事”、そして”考察”としても成り立つように考えたテキストとなっています。
今読み返せば、「二人セゾン」を”今後のメンバーの卒業、そしてグループの解散すらをも内包した「ラストソング」でもある”と紹介するなど、すでに不穏な空気が漂っていたことを窺わせる内容も。
そして本原稿の後半は、この日初披露された「不協和音」と、その後心ここにあらずとなった平手友梨奈さんに対する印象や自分の考えが占めており、当時いかにこの楽曲のパフォーマンスが衝撃だったか、どれほど平手友梨奈という少女が危うい予感を秘めていたのかを物語っているようです。
”「この15歳の少女は、一体どんな思いでここに立っているのか、これからどんな道を歩んでいくのか?」
その底抜けのパフォーマンス力、表現力を持つ彼女の将来が楽しみであると同時に、ひたすらに胸が苦しくなったのも事実だ。どうか、その先にあるものが孤独ではないことを願いたい。
AKB48以降、アイドル、運営、ファンが三つ巴でつくった、新しくも歪な構造。その中を王道かつ異端として突き進む彼女たち欅坂46、そして平手と長濱という二人の中心的存在は、今後どこへ向かうのか。
正直、単純に「楽しみだ」「今後に期待したい」などとは無責任には言い難い。ただひとつ適当な表現があるとしたら、こうだ。
予断を許さない。”
本テキストはこう締め括られています。当時は自分でも「最後の一言は過剰ではないか?」と感じていましたし、実際にそうした指摘をいただくこともありました。しかし、結果として、そうではありませんでした。
4.不完全な欅坂46と完全な平手友梨奈。初の野外ワンマンで少女たちは何を見せたのか
本原稿は、2017年の1stアルバム『真っ白なものは汚したくなる』リリース後に開催された初の野外ワンマン『欅共和国 2017』2日目を観て感じたことを書いたテキストです。
結論から言えば、(少なくとも筆者が観てきた)欅坂46のライブにおいて、パフォーマンスの完成度としてトータルでの最高記録を見せたのがこの日でした(次点は有明での初ワンマン)。
一応この原稿がライブレポ形式をとっていない理由を少し説明しておくと、この頃から書き手としても読み手としてもライブレポートというものに意義を感じなくなっていたことが影響しています。当時すでにライブレポ執筆は基本的にお断りし、考察を軸としたものだけを受けるようになっていました。
原稿に話を戻すと、この日のライブはテキスト中にあるように、最初から最後まで平手友梨奈さんに釘づけとなるキレキレのパフォーマンスを堪能できる素晴らしいものでした。そして、それと同時に、この日が欅坂46にとって最後の分岐点だったのではないかと思う部分もあります。
すでに欅坂46に関する最悪の出来事である「発煙筒事件(はっきり言えば殺人未遂)」は起こってしまった後でしたし、歴史に「もしも」は存在しません。
しかし、この日彼女たちが見せたのは”違う可能性”だったのではないかと、そう思わずにいられません。詳しくはぜひ原稿をご覧いただければと思います。
5.平手友梨奈を語ることは、罪なのか? 欅坂46東京ドーム公演に寄せて
最後に筆者が欅坂46について書いたテキストが、2019年の東京ドーム公演最終日を観て感じたことを綴ったこの原稿です。
2017年末の雑誌『クイック・ジャパン』135号での長濱ねるさんへのインタビュー(筆者がメンバーに行った唯一の取材です)以降、筆者は欅坂46について多くを語ったり、原稿を書くことはしなくなっていました。
正直、欅坂46を取り巻くメディアの扱いや、彼女たち自身がリリースする楽曲、そのどれもが自家中毒を起こした重苦しいものとなり、ファンダムの空気までもが悪化していたように感じられました。そうした状況によって欅坂46への興味をほぼ失っていたと同時に、自分の”エモさ”を誘う語り口や論評はそんな状況を作った一因でもあっただろうし、これ以上そうした原稿を書いたとして、追い込まれた彼女たちにとって毒あるいは麻薬にしかならないと判断したからです。
そんなある日に依頼をいただいたのが、この東京ドーム公演の取材。そんな状況にも関わらず、あまり悩まずに「やってみよう」と思いました。
その理由は、このツアーに平手友梨奈さんが参加しないという事前発表を聞いていたから。彼女が参加しない欅坂46がどんな可能性を見せるのか、単純に興味が湧きました。
しかし、結果として平手友梨奈さんは東京ドーム公演に合わせるように復帰。思わぬ展開となりました。
何が起こり、何を考えたのか。それは原稿をご覧ください。
「彼女について書いていいものか」。そう悩みながらも、筆は淀みなく流れるように進みました。平手友梨奈という存在は、それほど書き手にとって魅力的なのです。
「彼女について書くことが、彼女の神格化につながり、結果的に平手友梨奈という一人の人間を傷つけることになるだろう」だとか「あえて平手友梨奈への言及を抑え、他のメンバーにフォーカスを当てることで、各ファンが喜び、グループを取り巻く環境は多少平和に向くだろう」なんて、そんなことは誰よりも分かっています。
平手友梨奈さん本人が、自分だけでなくもっとグループ全体に注目してほしいという願いを持っていたであろうことも、想像がついています。
けれども、パフォーマンスがすべてを物語るのです。気づけば、平手友梨奈さんを目で追わずにいられないのです。そして、この日披露された彼女のソロ「角を曲がる」における会場の反応からも、そう感じているのは自分だけでないことが分かりました。
そこで感じたのは「”あえて平手友梨奈についての言及を控え、平等にグループにスポットを当てる原稿”を書くことは、それこそが平手友梨奈というパフォーマーに対する裏切りであり、嘘に他ならない」というものでした。
高揚とともに書けば書くほど、圧倒的な自己矛盾と、その文章が誰かを傷つけてしまうであろう罪悪感に苛まれました。それはまるで強い酒や薬を飲んで行う自傷行為のようでもありました。副作用として、この原稿を書き終えた後2週間ほどはひどく気分が落ち込み、何も手につきませんでした。
ただ、それはささやかながらも、平手友梨奈さんという人間に対する、書き手としての責任の取り方だったと思います。
番外編:鼎談:宇野維正×照沼健太×田中宗一郎 日本の次世代ポップ・アイコンは欅坂46平手友梨奈とスーパーオーガニズムのオロノだ!
最後に「欅坂46の平手友梨奈」が好きだった方々には不快な意見だと思いますが、今回の脱退の向こうにソロとしての活動があるとすれば、それは彼女にとって大きなプラスになると信じています。
この鼎談で語っている通り、僕は初期の段階から「平手は早々とグループを卒業してソロデビューすべき」と思っていました。
アイドルグループという概念を否定するつもりはありません。しかし、彼女にとってアイドルグループという枠組みは、表現者として足かせとなることが目に見えていたからです(繰り返しますが「欅坂46の平手友梨奈」が好きな方には申し訳ありません)。
「飛び抜けた才能は周りを傷つける」そんな映画や小説、マンガを僕たちはいくつも見てきたはず。しかし、それを現実に目の当たりにすることはほとんどなかったのかもしれません。
彼女たちの未来が、明るく愛に満ちたものとなることを願っています。