「神・狂気・音楽」
心理学用語で「代理満足」といって、我々は、言いたかったり、したかったりするけれども、自分では出来ない事がある時、代わりにそれをしている人を見て満足することがあります。
そして、その社会では許されていない言動をする事で代理満足を与える「ヒーロー・ヒロイン」もいます。
彼ら・彼女らは、その行動の根拠として、人間のコントロールを超えた何らかの存在や原因、あるいは普遍的な正義によって突き動かされていることを示そうとします。しかし、それを周りの人(あるいは権威者)に認められなければ、社会から罰せられます。
古代においては「神」がそれでした。権力や権威に反することを言って社会改革をするためには、言っていることが自分の言葉ではなく「神」の言葉であると認められる必要がありました。もし認められなければ、聖書に書いてある多くの預言者のように処刑されることになります。
宗教の力が弱まった近現代においては「狂気」がその役割を果たすこともありました。
例えば、第二次世界戦争中の日本で、息子の戦死により「精神病」にかかったある母親が、政府を批判し戦争に反対する内容の言葉を屋根の上で叫んだことがあったそうです。
当時の日本においては絶対に認められないこの言動も、本人の意思ではなく「精神病」によるものだと周り(あるいは権威者)に認められるならば「罰」ではなく「治療」されることになります(その治療が、本来の意味での治療でなく「罰」に限りなく近づくこともあったり「精神病」の判定が正しいのかという問題もありますが、それはここでは論じません)
音楽も「人間の理解を超えた神秘的な力」があると、古くから信じられており、科学万能信仰が広まった現代においてもこのイメージは健在です(イメージだけでなく本当にそのような力があるのかもしれません、それは永遠の謎です)。
それ故、音楽においては、多くの人が表現したくても社会的に許されないことを、表現することが許されることがあります。
あからさまな愛情表現がはしたないとされる日本で、イタリア男も真っ青な表現オンパレードのラブソングが流行するのは、このためです。
(暗めの話をしておいて、最後に明るい話をすることで印象に残りやすくしようとする心理テクニックです。あ、あざとい)
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