プロガイドの東京観光:江戸城の歩き方〜二重橋編〜
二重橋に行ってきました。
「ザ・皇居」といえばこの風景というくらい、皇居を代表する風景です。また、皇居ランをされる方は、この桜田門付近を拠点とされる方も多いと思うので、歴史に興味のない方でも、この風景は、一度は見たことがある方も多いと思います。
京都からやってきた?伏見櫓
現在の二重橋は、皇居正門として使用されていますが、江戸時代、この場所は、「西の丸」と呼ばれ、主に前将軍が住む御殿がありました。
橋の後ろには、江戸時代から現存する櫓があります。こちらは、伏見櫓と呼ばれ、徳川氏の前の政権である、豊臣秀吉が築いた京都・伏見城から移築されたと言われていますが、確実な証拠はなく伝承の域を超えません。
何が「二重」なの?
そんな二重橋ですが、なぜ、「二重橋」と言われているのでしょうか?現在、一般的には、「正門石橋」(前方の橋)と、「正門鉄橋」(後方の橋)、この二つを総称して二重橋と言われています。
しかし、厳密には、「奥の橋」のことのみをいうようです。
なぜ、「奥の橋」のみなのか?その手がかりは、橋から水面までの高さにあります。
現在の橋は昭和39年に架け替えられたのですが、無論、江戸時代は木でできた橋でした。鉄橋であれば強度は十分に保てるのですが、木橋であれば、この高さを支えるには不安定です。
そこで造られたのが、人が通る部分の下にさらにもう一つ橋を造り、下段の橋が上段の橋を支える二重橋構造の橋でした。元々は、この橋の特異な形状から二重橋と呼ばれるようになったのです。
地名に隠された歴史のサイン
駅名にもなっている二重橋ですが、その名前の背景には、この場所に城を築くにあたり直面した先人たちの苦労と知恵が隠されていました。
あまりにも、当たり前すぎてその名前の由来すら考えたことのない場所。。
しかし、この二重橋のように、少し視点を変えて見ていくと、意外な発見があるものです。また、そこに、歴史さんぽの楽しさがあるわけで、そういった歴史が発するサインを丁寧に拾っていくと、見慣れた景色でも、また違った空間に見えること間違いありません。