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江戸城ってどこ?
「江戸城の英語ガイドしています」と言うと、「え、江戸城ってどこ?」「お城まだあるの?」と良く言われます。
皆さん、お城=天守のイメージがあるらしく、そういう意味では江戸城には天守はありません。むしろ、江戸城に天守があったのは、江戸幕府が始まって約50年ほどの間で、その後200年は天守台のみ存在し天守は再建されませんでした。
(天守とは何か?何故天守が失くなったのか?なぜ再建されなかったのか?等々はまた、別の記事で詳しく書きます)
本題に戻ると、お城とは通常堀に囲まれた空間の内部をさします。江戸城の場合、さすがは徳川将軍家の居城。堀は堀でも「内堀」「外堀」の二重の堀に囲まれていました。内堀は、今皇居ランで有名なコースで全長5kmほどですが、外堀はなんと全長14km!今の千代田区、中央区ほぼ全域がすっぽり入る大きさです。
この外堀沿いには「見附(みつけ)」と呼ばれる城門が設置されていました。(赤坂見附は、江戸時代の城門跡が現在も地名として残っています。残念なことに門自体は撤去されていますが、門を支えていた石垣は今でも残っています)
他にも、「数寄屋橋門」「虎ノ門」「四谷門」「市ヶ谷門」「牛込門(JR飯田橋前)」「浅草橋門」など、今でも地名として残っている門も多数あります。つまり、これらの門の内側が全て江戸城内となっていました。
千代田区・中央区で働いている人はほぼ全員「江戸城内勤務」となります。(羨ましい!)
これら外堀の門は昔から通行量が多く、門が撤去されてからも、城門のあった広いスペースに駅が作られた関係で、今でも多くの人が利用されているかと思います。ふと足をとめてみて、江戸時代の痕跡を見つけてみてはいかがでしょうか?
約150年前の江戸城・数寄屋橋御門(明治4年頃撮影)(出所:e国宝 国立博物館)
現在の数寄屋橋 (2019年6月撮影)明治4年の写真とほぼ同じ位置から撮影