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「江戸城」と「君が代」

「君が代」。誰もが知っている日本の国歌ですが、その成り立ちを知る人は少ないのではないでしょうか。

今歌われている「君が代」。もともとは、平安時代に編まれた勅撰和歌集(天皇の命令で編纂される和歌集)である、「古今和歌集」の中に登場する歌がオリジナルとなっています。

ただし、歌詞が「君が代」とは少し異なり、オリジナルの歌は、

我が君は 千代にやちよに さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで

で、「君が代」とは、歌われていませんでした。

歌詞の意味

冒頭部分を「我が君は」としているオリジナルの歌ですが、ざっくり訳すと

「愛する我が夫(彼氏?)が、いつまでも健康であられますように」

となり、おおかた、女性から男性に宛てた、今でいうところのラブレターのようでした。さらに、この歌。詠んだ人の名前が記されておらず、身分が低い人の歌だったようです。

つまり、名もない一般女性が愛する男性の健康と無事を祈った歌が、国歌のオリジナルということです。

「君が代」に

それでは、いつ「我が君は」が「君が代は」になったのでしょうか。

これも、色々諸説ありなのですが、権力者が儀式の場で「君が代」を歌ったことを確認できるのは江戸時代です。

江戸時代。毎年正月、江戸城大奥にいる将軍の正室や側室が、将軍に年始の挨拶を行う前に、「手水(ちょうず)の式」という清めの儀式を行うことが通例となっていました。

その式の場で、将軍の治世が末長く続くようにと、

君が代は 千代にやちよに さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで

と歌を詠んだそうです。

終わりに

その後、明治維新を迎え、天皇を中心とする国家建設が進むにつれ、「君が代」は天皇を称える意味に変容した歴史は、多くの現代人が知る通りです。

ただ、1100年の歴史があり、世界最古の国歌としてギネスに認定されている君が代。その永い歴史の大半が、「恋」の歌だったという事実は、意外に多くの現代人は知らないのではないでしょうか。

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国歌にでてくる「さざれ石」。このさざれ石が永い年月を経て頑丈な岩となり、さらにその岩に苔がはえるまでなので、とてつもなく永い時間を表しています。(文部科学省にて)

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