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ポストモダン終焉宣言、第6弾!(終焉宣言の日の天気に、ポストモダンとは何だったのかを改めて問う)

ポストモダンとは、一体何だったのか?
少しじっくり考えれば、アートにおけるポストモダンは、二系統の流れがあったのではないかと思える。
一方は、小さな物語の多様性。ダントーは留保(アートから理念が立ち去る)をつけて、この党派に属する。前世紀末から今世紀初めの多文化主義も、これに入る。その後、多文化主義は硬直化した。
他方は、差異とシミュラークルの系統。クーンズを筆頭とするポストモダンのアートの主流である。
この二系統が混同されて誤解したり、相互に排除したり、無下に混合されたりしたプロセスが、ポストモダンの暗黙の歴史となった。二つの系統は合流して一つになることはなかったが、同時代にあって重なり共存することで、一つの流れのように見えたのだ。
そのため、二つの相容れないものが一体化し、それに直面して解釈に苦慮することになる。だが、起源と系譜が異なり、たまたまポストモダンとして一括りされることで混乱をきたしているように思われた。
リオタール=ダントー路線の小さな物語のアートは、サブカルや多文化主義から始まり、なんでもありのアートとして現時点の現代アートの背景となっている。
しかし、これはなにもアートでなくてもよい。従ってアートとして承認されるにはそれなりの基準が必要となる。それがテクニックである。いかなる条件でもアートにとって不可欠な要素であり、その有無の程度は何人にも理解されやすいからだ。
ただし現代アートでは、テクニックのあるものだけが評価されるわけではない。その用途が重要だからだ。現代アートに目的が介入することで、理念の復活が予想されるのである。
かたやボードリヤール路線のシミュラークルは、デリダの差異を哲学的公理として、さらに深い原理的展開を秘密裡に遂行している。秘密というのは、それが不可視の出来事だからである。その結果、純粋シミュラークルの出現は、新しいパラダイムが生まれて事後的に確認されるだろう。
ダントーによれば、理念が去ってアートは自由になった。重石か足枷となっていたものがなくなり、なんでもできる。 
そうだろうか? なんでもできるという不自由の地獄にはまって、何もできず身動きできないのではないか?
挙げ句の果てにモダンとポストモダンによる露骨なパスティッシュである。モダンの理念ありとポストモダンの理念なしがどうしたら結びつくのか? 前者の重いアートと、後者の軽いアートは融合すると相殺されてゼロつまり存在価値がなくなるのではないか? だとすれば、その無駄遣いをやめさせるにはどうするのか?
このままでは、一方でダントーの歴史の終焉から遡ってなんでもありの無節操なアートに連なるリオタールの小さな物語のアートの群れが永遠に続く。だが、ポストモダンは資源を蕩尽して、確実に死期に近づいている。その間に資本主義は、この無限(?)の表層の戯れから利潤を吸い上げようとつねに画策している。手を変え品を変え目先を変えながら、資本主義の延命を図っているのだ。
他方では、デリダの差異を出発点にして全方位運動の末に発散するシミュラークルの逃走劇がある。その極限で純粋シミュラークルに到達した暁に理念が戻ってくるのかどうかはまったく不明である。が、確実に言えるのは、アートから剰余価値をくすねることが不可能なシナリオのエンディングであるということだ。
どちらの物語が歴史ないし非歴史となるのか。その瀬戸際に我々は立たされている。これがポストモダン終焉宣言の日に、私が見上げた空模様(写真)だった。

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