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現代アート論(4)―現代アートの折衷とは?(ポストモダンの終息を考える)

現代アート論(2)を引き継いで、2000年以降の現代アートは、2008年のリーマンショックを乗り越えて、いやリーマンショックがあったからこそ各国は積極的財政政策でマーケットを拡大した。その結果、潤沢な資金が流れ込んだマーケットのさらなるグローバル化が、アートの需要を喚起し作品の価格は瞬く間に高騰させた。現代アートのマーケットは、以後政治的な操作で膨らんだ人工的なアートバブルのなかで、10年間にわたりその豊かな恩恵に浴してきたのだ。
その2000年以降に、潜在的な過剰需要に合わせた供給側のトレンド形成が急務となった。そして2010年代、ポストモダンの第三期を特徴づけるパラダイムレベルで働くアマルガムの作例が本格的に登場した。
その話をする前に、まずポストモダンの歴史を整理しよう。
1. ポストモダンの理論的枠組みはシミュラークルである。これが、1980~1990年代の第一期のプロトタイプのシミュラークル作品(代表的アーティストは、本論(2)に画像を載せたジェフ・クーンズとダミアン・ハースト)に結実した。
2. ポストモダンの基本的手法であるアプロプリエーション(借用)によるポストモダンの内容の拡張は、文化に集中した。これが、1990~2000年代の第二期の多文化主義の作品(代表的アーティストは、村上隆と奈良美智)に現れた。
3. 2000年の後半以降、ポストモダンが借用する過去のアートの内容のストックが枯渇し、それが引き金となってポストモダンの原理のシミュラークルの迷走が始まる。
第一期のプロトタイプのシミュラークルは、アプロプリエーションというセンセーショナルな方法論ばかりが注目されて、その形態的な完成を疎かにした。作品が、理論を実演する図式的な表示に留まったのである。当然、その表現の強度は落ち、アートの生存競争に勝ち残ることができず、多くのエピゴーネンのアーティストが消えていった。
このままではポストモダンは終息するだろうと思われた2000年代末、その表現の欠陥に助け舟を出したのが、モダンアートの理念的支柱であった〈物質〉である。ポストモダンの指向性(シミュラークルの軽さ)とは真逆の指向性(物質の重さ)が紛れ込むとは常識では考えられない現象だが、生存競争を生き抜くには背に腹を変えられない選択だった。
かくして2010年代に、シミュラークルと物質のドッキングが実現した。二つの歴史的パラダイムが一つの作品のなかで融合した。と言えば聞こえはよいが、内実は長引く歴史的閉塞時代に残された窮余の策だったのだ。その二つのパラダイムの理念(大きな物語)が帯びる崇高を背にする作品は、向かうところ無敵だろう。だが、二つの過去の既成のパラダイムであり、作品は、そこからの借用の結末にすぎないことを忘れてはならない。
それもこれもマーケットという大立て者の強力な支持と支援があってこそ可能なのである。ポストモダンに許される過去への回帰を、表現の構成要素レベルからパラダイムレベルにせり上げ、二つの相容れないパラダイムの支柱を抜き出して混ぜ合わせる。相反する要素を足し算すると答えはプラスマイナスゼロになるはずだが、それが相乗効果を生み強度が自乗されると称する。
この理論にならない折衷主義的なマジックは、マーケットのなかでのみ通じるジェスチャーなのだが、この裸の王様ゲームは、マーケットが磐石な限りは解けることはあるまい。
過去回帰のポストモダンと単なる物質主義のモダンの根拠なき掛け算が、莫大な剰余価値を生む。使用価値が無であるがゆえに交換価値は無限になるパラドクスは、アートの遊戯では自明の理として歓迎されるのだ。以後、新型コロナウイルス危機が勃発する日まで、この折衷主義のアートがマーケットのメインストリームを闊歩していたのである。
新型コロナウイルスが自然の側から人間界に介入する実力行使だとすれば、アントロポセン時代のエコロジーアートが、2010年代末に登場してきたことは象徴的だろう。それと、今回のウイルスによるグローバルな災禍は並行現象かもしれない。アートが予言したことが、現実世界で早くも実現されたのだ。
見出しと下の写真は、2019年3月に開かれたArt Basel Hong Kongの会場風景。

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