大いなる勘違いからプロコーチへ転身

私がコーチングを仕事として捉え、プロのコーチになろうと決心したのは2009年頃のことでした。2007年から起用したプロのコーチ、アンソニーから2年間に渡りコーチングを受け続けた私はビジネスパーソンとして成長し、この頃にはドイツの文具メーカーにおける日本市場開拓戦略を任され、日本支社長というポジションで仕事をしていました。

当時のコーチングで多く挙がった話題は、実際にビジネスの現場で起きた課題や問題への対処の具体的な話が多かったように記憶しています。セッションの中で仮説を立て、それを私が実際に現場で実践し、結果を持ち帰り再びコーチと対策を揉む、といった実践的な内容が大半を占めていました。

そして、外資系特有のお話ですが、日本では支社長という立場で組織の長でありながら、海外本社から見れば、日本事業を任せているいちマネージャーという位置づけで権限が全て与えられず、日本のスタッフが求めている意思決定や決裁を一人で行えないという苦悩がありました。日本のスタッフからは「社長なのになんにも決められない」という苦情が挙がり続け、本社からは「それは君の決裁権限ではない」と一蹴される。そういった「人に言えない苦悩」を吐露できる唯一の相手としてコーチは私の大きな支えでした。

そういった環境の中、私はコーチングを受けることにより、自分の成長を感じ、仕事に対する自信も増し、コーチングという手法をどんどん信頼するようになりました。コーチングを受けることがたとえ抜本的な解決に至らなかったとしても、一人ではなく伴奏者がいる、その事実だけでどれだけ勇気づけられたことか。

そして私は、コーチのような「人の成長に寄り添い、役に立つ」仕事を将来自分もやることができたらなと夢見るようになりました。

あるコーチングセッションの日、私はコーチにこんな問いをします。「私はプロのコーチとしてやっていきたいという夢があるのだけど、その道を進むことはできると思いますか?」と。

コーチからの言葉はこんなものでした。「君がそう思うなら不可能なことはないと思うよ」

今振り返って考えれば、こういうコーチの言葉は大した意味を持っていない「エールを送る言葉」で、コーチングの手法でいう「承認」の一種だと考えることができます。しかし当時の私には「合格のハンコを押してもらえた」「君はプロのコーチに向いている」という言葉に思え、私はコーチングを職業として独立開業する夢に向かって邁進することを決意しました。これぞ私の歴史に残る「大いなる勘違い」です。

時を同じくして、支社長業務の方にも転機が訪れます。日本市場の特殊性を勘案して売上目標未達にこれまで目をつぶってくれていた本社側が手のひらを返すように「未達の責任者探し」を始めたのです。私が採用し、大切に関係性を育んだ人々が一人一人と会社を去る姿を見るのはとても辛いことでした。そして最後には私も肩を叩かれることになりました。

外資系企業で働くことは給与水準も高い代わりに成果により出入りの激しい就労環境を受け入れることでもあると思います。すべては与えられた期間と予算で目標を達成できるかどうかにかかっていて、それが達成できなかったらポジションを受け渡す。そういう実力主義な環境の良さも怖さもこの仕事で思い知りました。

外資系企業の支社長という、ある意味ビジネスパーソンとして最高のポジションまで上り詰める経験をし、最終的にダンボール1つ渡され会社を静かに去るという結末を迎える私のキャリアストーリー。その日オフィスを出て、公園に座り、町行く人々をぼんやりと眺めながら、とても寂しい気持ちになったのを覚えています。バリバリ売り上げていくビジネスパーソンというキャリア、もしかしたら向いていないのかもしれない、と強く感じました。

そんなことも相まって、プロのコーチに転身するということが現実味を帯びてきました。コーチのアンソニーと相談の上、私は給料をもらい生活を支える仕事を探しながら、コーチとして独立開業するために準備を進めるというダブルワーク状態を維持しながら独立準備をする道に進み始めます。

その時のアンソニーの格言「向こう半年分の利益見通しが立っていなければ、独立してはならない」「独立して売り上げがなければ、本当に生きていけないから願望や甘い見込みだけで物事を決めてはいけない」この格言が独立開業のマイルストーンとして「いい仕事」をしてくれました。

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