「まつがい」の質について。
ほぼ日の「言いまつがい」のコーナーをちょくちょく覗いて15〜6年になるだろうか。
いつもクスッとなるのだが、普段の生活で質の良い「まつがい」に遭遇することはなかなかない。
そう、「まつがい」には質というものがあって、良いまつがいにはえも云われぬ「とほほ感」や「しょんぼり感」といった哀愁のあるおかしみを孕んでいる。
ある時、私が妻に「コンビニ行くけど何かいる?」と尋ねると、妻が何か甘いものを食べたいということで「アフォガード買って来て」と言う。アフォガードとは、バニラアイスにエスプレッソコーヒーをかけてあったかいと冷たいを同時に味わうものである。
私:コンビニにアフォガードなんてあるかね…?
妻:多分あると思う。チョコに船の絵が書いてあるやつ。
私:それ「アルフォート」ね。
これは立派な「言いまつがい」である。なかなかいい線いっているのだけれど、質の良さという面においては少々惜しい。「アフォガード」が多分におしゃれな存在だからだ。質の良いまつがいは、そこはかとなくダサい空気を纏ったものでなければならない。
質の良い「まつがい」は、記憶に深く刻まれる。
例えば、二十歳くらいの時にイタリアンレストランでアルバイトしていた頃、ある日の店内ではハットを被ったダンディなおじさまとそのご一行様が食事を楽しんでいた。ちょうどBGMでスティービー・ワンダーの名曲「Sir duke(愛するデューク)」がかかっていたときのことだ。
ダンディおじさんはハットのブリムを触りながらワインをひと舐めして渋い声で言った。
「あぁ、おれこの曲好きなんだよ。スピーディー・ワンダー。」
その瞬間、私の脳裏には、全力疾走するスピーディーなワンダーの姿が浮かんで、曲が終わるまでダッシュを止めることはなかった。
それから、昔友人が鎌倉の鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)に行ったという話をする際に、
友人:いやー、鎌倉良かったよ。
私:どの辺に行ったの?
友人:片岡鶴満宮。
私:……? かたおかつるまんぐう?
これはもう、言いまつがいというよりも、そもそもの「認識まつがい」とも言うべき奇妙な形態である。
片岡鶴太郎さんが生きながらにして祀られている神社であろうか。ヨガの聖地的な。
まつがいの形態変化としては、味わい深い「書きまつがい」というのもある。
湿かい。
間違いは、時に思いもしないような角度に意味を変える。そこには、理屈では辿り着けないイマジネーションの種が潜んでいる。そう思えば、間違いは悪、間違いは恥ずかしい、と、簡単に断じられるものではない。どうせなら、質の良い間違いをしたいし、間違いから新しい視点を見つけたい。
そんなわけで、私は今日も、自分史に残る質の良いまつがいとの出会いを待っている。