もやしをすすらない人生を。
娘、一歳の記念に、一生食べ物に困らないようにと願いを込めて、一升餅を背負う。
一升の重さには耐えきれず、訳もわからず混乱してしまったけれど、半分の重さにしたら誇らしげに立ってくれましたよ☺︎
事務所にいつも出入りしてくれる乳母ーズのみなさんや、コロナ禍であまり顔を見せられない義父もこの日は見守ってくれて、思い出深い成長の節目。
酒好きな義父と久々にゆっくり呑むこともできて良かった。
振り返れば楽しんだのは大人ばかり、、かな笑
はて、ところで一生食べ物に困らないという願いを込めた一升餅、自分はやったのだろうか。
若かりし日の売れないバンドマンだった頃、食べ物に困ったことがある。貧乏極まった私は知恵を絞り「もやし蕎麦」というメニューを考案してよく食べた。蕎麦にもやしを混ぜて少しでもかさ増ししてやろうという食べ方、ではなく、もやしをめんつゆにつけて蕎麦みたいに食べる、要するにただのもやしである。
自分が一升餅を背負ったことがあるのかどうか定かではないが、これはそういう問題ではなくシンプルに自業自得の貧乏である。加えて、ある年のクリスマスイブに明石家サンタを見ながら1人孤独にもやし蕎麦をすすったとあれば、その悲哀の濃度は希釈していないめんつゆよりもはるかに濃い。
そのせいか、いまだにもやしという素材に対しては食傷気味だ。
正直このような経験は、人間を強くする貴重な経験だし、残り物で何かを作るという生活スキルの先端にある、究極のシンプルクリエイティブでもある。
でもやっぱり娘には、もやしをすすることのない人生を歩んでほしい。それが父の願いです。
何より5口目あたりで飽きるから。
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