【25冊目】贈与論 他二篇(1924)マルセル・モース著森山 工 訳(2015)
【諸々】
・贈与の興りを見ることで現代における贈与・貨幣経済の形態を考察するための基礎を提示する。
・まず、贈与には3つの段階(贈る→受け取る→返礼する)が踏まれる。
・各民族の儀式には供え物がされるが、それには各民族の贈与に対する意識が表れている。
・以前に飲み会の席でお会いしたときに、おごってくれるかなと周囲に冗談を言ったことがあったが、贈与論はその手の話ではなかった…
・訳者あとがきでも記しているが、扱う分野が大変に広範で、その記述説明に頁を割いているために、中盤は関心のない内容だった。フランス人の記述は文章が堅苦しくなく読みやすい。この手の内容を書く&翻訳するには長い研究人生が必要だろう。読み手はそのような苦労はせず、ただ読み流すだけだが、一字一句をどのように翻訳するかを考えると大変な仕事だったろうと思う。
【気になったところ抜粋&感想("→"以降)】
①真の革新、偉大で賞賛に値する革新によって、もはや時代に合わなくなった倫理段階を乗り越え、贈与経済を乗り越えて先に進んだのはローマ人とギリシア人なのだ。贈与経済というのは、あまりにも運任せで安定性がなく、あまりにも高くついて無駄が多いから。贈与経済というのは、人対人のさまざまな思惑で満ち満ちていて、市場・商業・生産の発達とは両立しえず、つまるところ当時にあっては反経済的となっていたから。
→経済発展側か、庶民感情側かのニュアンスの違いはさておき、やはりそれが人間活動のもたらした結果であると認識するならば、それは人間が求めている方向に進んでいるように思う。
②本研究を閉じるに当たって見出されるものがあるのすれば、それはしたがって以上のことである。社会が発展してきたのは、当のその社会が、そしてその社会に含まれる諸々の下位集団が、さらにその社会を構成している個々人が、さまざまな社会関係を安定化させることができたからである。すなわち、与え、受け取り、そしてお返しをすることができなくてはならなかった。そのときはじめて、財や人は交換されるようになった。それも、たんにクランとクランとのあいだでだけではなく、部族と部族とのあいだで、交換されるようになった。そうなってようやく、人々は利益となることどもを互いにつくり合い、互いに満たし合うことができるようになったのだし、最後には武器に訴えることなしにそれらを守ることができるようになったのである。(中略)以上に述べたもの以外には、他に倫理も経済も社会実践も存在しない。(中略)宮廷における驚嘆すべき発明品をつくりだした経緯である。それがすなわち<円卓>である。<円卓>に着座すれば、騎士たちは争いをやめたのだから。
→本書のまとめの項。争いを減らし、社会を安定させる流れは贈与によってもまたもたらされた。贈与により、武器を置くことができたのだ。当然ではあるがその興りはまずはミクロから、そしてマクロへと拡がっている。本書の内容を個々人の話に置き換えると、また面白い読み方ができる。詳細は記述しないが、その観点に歴史を加えて考えると、本書の内容の、贈る→受けとる→返礼するのプロセスが徐々に大きくなる(大きくしなければならない)の意味が分かる。国家間も同様にできている。
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