残暑お見舞い申し上げます。(プロフィール)
皆様、暑い中いかがお過ごしでしょうか?私はなんとか元気に過ごしております。いきなりなんですけど、この度noteを始めることにしました。今回は記念すべき (自分で言うな) 最初の投稿ということで、自己紹介とnoteを始めた諸々のきっかけについて書かせてください。
1. 自己紹介を兼ねた長めのBiography
まず、基本的なプロフィールから。
●生年月日:1997年11月22日
●出身地:山口県岩国市生まれ、岡山県倉敷市育ち
●在籍:東京藝術大学大学院音楽研究科音楽文化学専攻音楽学分野 (西洋音楽史) ←マジで長すぎ笑
●身長:178cm (最近測ってない)
●体重:90kg (この際言ってしまえ笑)
こんな感じでいいのかな?まあいいや。とりあえず藝大でクラシック音楽を勉強している瀬戸内出身の巨漢だということをご理解頂ければ恐縮です。
クラシック音楽を勉強しているんで、私の音楽との関わりについて紹介させてください。
3歳からヤマハ音楽教室に通って、本格的にピアノのレッスンにシフトしたのは小3から。中学生の時は3年間チェロも習った。しかし、私MKBは練習大嫌い芸人だったため、進捗芳しからず。本当に先生方にはご迷惑をおかけしました…💦でも、そんな自分にしては頑張ったと思っているのは中学と高校合わせて5年間在籍した吹奏楽部で吹いたホルン。これに関してはわりかし真面目に頑張った故 (練習大嫌い芸人による相対評価) 、大学に入った後もインカレのオーケストラやオペラ・カンパニーで演奏を続けることが出来た。
今までで人生の転機は2度あったと思います。それについても。
まず、小学校の同級生に感化されて臨んだ中学受験。小4から関西を中心に展開する某大手学習塾の岡山校に入って、みっちり勉強の毎日。オープンキャンパスでの吹奏楽部のパフォーマンスに魅了された京都の超難関中高一貫校を目指して3年間頑張ってみたものの、結果不合格 (ざまあみろ)。その結果、第2志望で補欠合格した広島大学附属福山中学校、というまあ長い名前の学校に入った。ここで過ごした6年間 (中高一貫校なので)、楽しかったことも未だに思い出したくもないことも、どちらも山ほどある。今の私の人生観を形作った場所でもあるので、また何処かで詳しくお話しします。
2つ目は勿論、藝大受験。実は小5の時、テレビ朝日の長寿音楽番組の一般参加型企画に出演したのがそもそものきっかけ。余命僅かな祖父へのエールということで、東京シティ・フィルを1分間指揮するというものだった。元々色んな音楽を聴くのが大好きだったが、それをきっかけにクラシックにも深入りするように。
その後、中学3年間は漠然と音楽を仕事にしたいと思っていただけ。しかし、高校に上がったタイミングで、一緒にその番組に出演した3つ上の先輩が藝大の指揮科に受かったと聞いた時、母が私のその漠然とした願望を察したのか、「そろそろ腹をくくれ」と怒鳴る。そのまま7年間ヤマハでお世話になったピアノの先生に事情を話してお別れし、紹介して頂いたピアノの先生にピアノだけでなくソルフェージュも教えて頂くことに。(和声だけは同じ市内にあった音大の作曲の先生に習った。) これ全部高1の4月下旬だった笑。目指したのは藝大の指揮科でもなくピアノ科でもなく、ましてやホルン科でもない。得体の知れない楽理科という、部外者には情報が全然入らない、まさに「秘境」だった。楽理なら勉強 (座学) のウエイトが高いという軽い気持ちと、実技の先生につく精神的余裕が無かったのが原因だろう。
3年間みっちり2人の先生に指導して頂きながら、部活を含めた学校生活を送り、並行して通っていた通信制の学習塾 (今でしょ!のとこ) の課題や模試をこなす。自分でもよくやったと思う。その結果、無事楽理科に受かり、念願の上京を果たす。(ムカつく言い方)
藝大での生活、というより東京での1人暮らしは何もかも自分にとっては未知の世界でした。そもそも物価、方言、ローカルネタ、全てが違う。慣れない家事もこなす必要がある。大学に入ってみれば色んなバックグラウンドを持った友人に囲まれる。自分より恵まれた環境の人、対して色々切羽詰まってる人、音楽のことしか興味ない人、色んなことに精通している「ザ・文化人」、既に演奏活動をプロ並みに展開している人、そんな環境に4年間没入した結果、「この人たちには到底敵わない。100万年早い。」と感じるのは至極当然。指揮やってみたいとか、クラシック音楽を人生の骨組みにしたいという願望が次第に薄れて、自分の中で子供のころの夢、人生の副次的な要素と化してしまった。(てっぺん取りたいという自身の急上昇志向も災いしたか?) それでもまだ藝大で何かできるはずだという、これまた漠然とした願望がきっかけで院進。院に入った途端 (というより学部卒業直前) 、COVID-19。逃げるように帰省して現在に至る。
2. noteのきっかけ
言ってしまえば、ぜんぶコロナのせいだ。
コロナ禍とそれに伴う帰省によって、私のオフラインでの交流や情報収集 (学校での勉強やアルバイト、サークル活動) が全てシャットアウトされた。そうした環境の中で情報発信の重要性を認識したのは決して私だけじゃないだろう。私の場合、活動を一旦中止する必要に迫られた結果、色々思索を巡らして、それを共有したいという衝動に駆られた。当初はTwitterの鍵を外して、あーだこーだ言ってはみたものの違和感を感じた。理由としては2つ。
①140字は短い
②見たくない (興味無い) のに視界に入る
140字はむしろTwitterの大きなメリット (呟きはコンパクトに) なのだが、見たくないのに私の投稿が皆様の視界に全文入ってしまうのはイライラのもとでしかない。私にとってnoteは、これら2つのデメリットを補填できる魅力的なツールに見えたのだ。
以上がnoteに自分で投稿しようと思ったきっかけ。
だがしかし、noteで投稿するには、登録してアカウントを作成するというめんどくさいプロセスを踏まえないといけない。他人の投稿を見るには、Twitterやインスタに貼ってあるリンクから跳べるから、その必要は一切無い。しかし、何故かオードリーの若林さんのエッセイ (¥1000 / 月) を観たいと思い、勇気を出して登録&購入。この選択は間違いなかった。テレビの若様ともラジオの若様ともちょっと違った一面が垣間見えるし、今の自分の思索にリンクするところが多い。(詳しく紹介したいがご本人がそれを望んでいないので、気になったらご自分でご確認下さい。) 我ながら久々に良い出費をしている。こうしてアカウント作成という煩雑極まりない手順を克服した。
最後にアカウント名「MKBの安否確認」について。私はこの4月から帰省している故、家族以外の知人・友人に全く会っていない。ZoomやGoogle Meetを介したゼミやミーティングでお話しする機会は多いが、そこにお互いの「生」の実感が伴うとは到底思えない。仮に相手が「MKBも実家で頑張って生きてるんだな」と感じるとしても、それは結局イメージである、所詮イメージ。しかし、イメージは大きな拠り所と成りうる。これを補強するためにも、自分の思索を文字化し、1から10まで見せつけるのが最適な手段である。
このページを開いた方は少なくともMKBの考えてることに興味がある、と考えられる。(決めつけて申し訳ございません。でもクリックしたということはそういうことでしょ?) そんな皆様に対してMKBの「生」の実感をより強固なものとして受け取って頂く。以上の願いを込めての「安否確認」です。宜しくお付き合いください。
3. 後記
3000字超、想定より長くなってしまった。これからどんなこと書いていこう?好きな音楽、映画、ドラマ、舞台、日常の発見、書きたいことは沢山。しかし本心を申し上げるなら、こんな一方通行の手段を取るよりもコミュニケーションをとる方が断然自分の実になる。なので、面白いなと思ったらいいね!やコメント (個人的な連絡もOK) 、よろしくお願いします。次回は所信表明と今やりたいことについて書いてみます。