パーソナライズドマーケティングと少しやんちゃなクラスメイト
ソーシャルメディアの普及、機械学習の精度が向上によって一般化したパーソナライズドマーケティング。2000年代前半からOne to Oneマーケティングという言葉はあったが、ひとりひとりに適切なタイミングで丁寧にCRMを実施していこう程度の話であったが、2010年代後半からインターネット上での行動を分析してコンテンツの出し分けまでされるようになった。もはやインターネットを開けば自分が調べたコトやモノばかりが出てくる状態になっている。広告を見て、そういえばこういうモノを探していたなと思い出すことさえある最近である。もうこれは買ってしまったから出てくる必要ないんだよなとか思いながら過去の自分の行動をパーソナライズドされた広告を見て思い出したりしている。
そんな最近ふと思い出したことがある。高校のクラスメイトのA君のことである。A君は身体が大きく少し不良っぽく寡黙な人だった。この人を怒らせたら身体の小さい僕はひとたまりもないと思わせるのには十分な見た目と雰囲気を醸し出していた。この人とはあまり関わらないでおこうと思っていた訳だが、ある時の席替えで彼の隣になってしまった。あまり関わらないでおこうと思った訳だが、そうはうまくいかなかった。A君はよく忘れ物をするのだ。隣に座る僕はA君に教科書を見せる係にならなくてはならなかった。毎日のように教科書を見せるうちにA君と少しずつ話をするようになった。話をするにつれて、A君は本当はとても優しいこと、実は勉強が好きなこと、意外と笑い上戸なこと、そしてやっぱり怖く喧嘩がとても強い人であることがわかった。スクールカースト最下層にいた僕にとって彼の話はとても興味深く、話を聞くのが楽しみになっていった。彼との会話が僕の退屈な高校生活に刺激を与えてくれるようになった。おかげで毎日学校に行くことが楽しくなった。
そんなある日の休み時間、クラスのお調子者B君に「最近、A君と仲良いよね。」と訊かれた。完全にA君のファンと化していた僕は彼のよさやおもしろさをとうとうと述べた。今思うとそれが失敗だった。B君は「A君と俺も仲良くなりたかったんだよ。よし、今から話しかけてみよう。お前も来い。」とB君は僕を連れA君のもとに行った。A君は机に伏せて熟睡中であったが、空気を読まないB君は「A君、遊ぼうぜ!」と声をかけた。休息中のA君はもちろん無視である。スラムダンクの流川楓のごとく睡眠をこよなく愛すA君に対して睡眠を邪魔するのはタブーである。ただお調子者で怖いものをしらないB君はそれでもしつこく「A君遊ぼうぜ!」を繰り返す。ついにはA君の身体に触れ、「A君起きてよ。」とA君をゆすり始めた。これはヤバいんじゃないかと思いB君を止めようとした矢先、A君は身体を起こし怒鳴り声で「うぜーよ!」と言葉を放った。休み時間でわいわいしていたクラスが急に静まり返った。腕っぷしは強いと噂されていたがクラスでは大人しくしていたA君を怒らせてしまったとクラス内に緊張感が走った。流石のB君も慌てて「ご、ごめん」と言ってそそくさと退散し、事なきを得た。
たしかに大事にはいたらなかったのだが、僕とA君の関係は大きく変わった。A君の中で僕はB君の友達、つまりうざい一味認定をされてしまったのだ。その事件以来、僕とA君の会話は激減した。たまの会話は教科書を見せる時くらいになってしまった。とても悲しかったが当時の自分はどのように関係を修復すればいいかわからないままだった。なにもできないうちに気づけば席替えがあり、席が離れ離れになってしまい、そのまま疎遠になり結局高校を卒業してしまった。浪人し、加えて他県の大学に通ってしまったため高校の同級生と疎遠になってしまった僕は彼がその後どうなったかは知らない。
過去に戻れるならば、お調子者のB君に「調子に乗るな。しつこくするな。機会をうかがえ。」と彼の愚行を止めるだろう。ここで、パーソナライズドマーケティングの話に戻る。もしかして、最近のパーソナライズドマーケティングはお調子者のB君になっていないだろうか。相手のことを気遣わずただただ自分を主張する存在。すでに購入した商品は出てこられても困るし、とうの昔に調べるのを止めてしまったことが出てこられても意味はない。こいつ何もわかってないなという気分になってしまう。人によってしつこいと感じるラインは異なる。それを調整するのは難しい。しかし、気遣う方法はある。そしてもし鬱陶しいと思われる関係になった場合でも、関係の修復方法はあるはずだ。少しやんちゃだったA君と酒を飲み交わしあの時のことを侘びたいと思いながらそんなことを考えた。
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