AIが普及すると仕事がなくなるのか、という話について
このところ毎週日曜日は朝6時に起きて、近所のスーパー銭湯に行って1時間サウナに入るのがルーティンです。ただ、このところ気温も上がってきて外にいるのも気持ちよいので、今日はサウナに入るかわりに江ノ島に行くことにしました。藤沢に向かう電車の中でこのnoteを書いています。
先週メディアの編集者と飲んでた時に、彼がChatGPTヤバいぞ、いよいよ仕事がなくなるんじゃないか、みたいな話をしていました。私的には作業を代わりにやってくれて有難う、と思えばいいんじゃないか、という気がするんですが、世の中の反応的にこの類のリアクションは多いことも認識しています。今回はAIが普及すると仕事がなくなるんだろうか、っていう、日曜日の朝らしい緩めのトピックについて、緩めのトーンで書きたいと思います。
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産業革命以来の・・という表現が示すもの
現在、AIとか量子コンピューターに関連する技術を表現するときに、「産業革命以来の大変革」とか表現されることがあります。ちなみに、私が社会人生活やっていてこの表現を聞くのは実は初めてではなく、スマホが普及した時もそんな文脈で話す人がいた気がするし、テスラが伸びた時もそんな話があったような・・。いずれにせよ、今は第4次産業革命とかインダストリー4.0とか言われている様です。どうでもいい話ですが、この「.0」ってなんでつくんでしょうね。web3.0 が web2.〇なのかの論争もなく、突然2から3に行くんだったら最初から「.0」つけなくていいのに、とか時々思います。
どうでもいい話が長くなりましたが、この産業革命以来の、という文脈は冒頭の飲み友達の反応を示すのに適切なアナロジーを想起させるものです。産業革命、つまり化石燃料の利活用によるエネルギー革命が起こった時の社会のリアクションの一つに、ラッダイト運動というものがあります。詳しくはウィキペディアとか見て頂ければいいかと思うのですが、ざっくり表現すると、工場が機械化されていく中で、手工業の担い手が製造機械を破壊するムーブメントが起こった、という事です。
現代の世の中ではAIを破壊する、とかそういうわけにはいかないので、AI技術を使わない、とか、これらの技術ついて過度な忌避感を表現し、関連技術への投資を非難する、とかがラッダイト運動にあたるのでしょうか。万が一、現代のラッダイト運動の闘士になろうと思っている人がいるとすれば、産業革命によって何が起こったかを知り、是非考え直してほしいと思います。
機械化により工場に職人はいらなくなったのかというとそんなことはありませんでした。職人にとってスキルの学び直しは必要となりましたが、むしろ大量生産が可能となることで、業界によっては機械化前よりも雇用が増えた業界も多かったのではないでしょうか。また、産業革命は鉄道や自動車といった、社会インフラの発達も推進しました。人の活動範囲が広がったことで交流人口が増加し、観光・宿泊・飲食など第三次産業が成長することで、さらに多くの雇用を生みました。そして、少なくとも物質的な価値の観点からは、社会は更に豊かになりました。
つまり、人のニーズを中心に仕事について考えた場合、仕事の「仕方」にこだわるのではなく、ニーズを満たすためにより良い方法は何か、ということを、新しく活用可能になるテクノロジーを活かして考え行動することで人は豊かになってきた、という事かと思います。冒頭のメディア編集者の事例をこの観点から考えると、記事作成や校正など今やっている作業がAIに代替されることを懸念するのではなく、AIを活用して人の情報収集ニーズを満たすサービスをどうアップデートするかを考えるべき、ということかと思います。
AIが普及する世界で残る人の仕事とは
歴史を振り返ると、人が求めるもの、つまり社会のニーズはそう変わってきたものではありません。テクノロジーの活用は、ニーズを変えていくというよりも、ニーズをよりよく満たすために使われてきました。例えばより便利に移動したい、と人類は考える中で、古代に馬車を発明し、それが産業革命を経て自動車や鉄道になり、そして飛行機が開発されて、といった経緯をたどって今に至っています。今後メタバースの普及で、そもそも移動したくなくなる、という、移動に関するパラダイムシフトが起こる可能性は否定できません。その一方で他の惑星への移動等、新しい移動ニーズも発生してくることが想定されることから、ここから最短でも数百年は移動ニーズの消滅という事態は懸念されるものではないと思います。
繰り返しになりますが、これをAI活用の観点に置き換えると、今存在するサービスが満たしているニーズは変わらない中で、どうそのニーズを満たすかという手段がAIの活用によりアップデートされていく、という事かと思います。AIを使う人は残るわけで、仕事はなくなりません。文明が発達する中で、馬車を操っていた御者はいなくなっても、タクシーの運転手が誕生した、という事象と同じことです。
AIが意思を持った生き物の様に振舞えるようになった時には、それこそ人の役割を代替してしまうのでは、と考える人もいるかもしれません。それでも、私は意思決定に携わる仕事は今後も人がやることになると思っています。AIも含めて、社会にあるありとあらゆるサービスは人の意思が生み出したものです。今後もAIではなく人のニーズや欲求が新技術の発明の源泉となるでしょう。AIが仮に自我を持ったとしても、AIのニーズ(欲しいのは電気と半導体とかじゃないですかね)と人のニーズが根源的に異なるため、AIは人が必要とするものは自発的には生み出さない可能性が非常に高いです。従って、人が引き続き意思決定を担っていくという社会の構造については、変化が起こらないのではないでしょうか。
例えば経営者という仕事はAIに代替されないものの一つだと思います。経営者が、組織の運営という社会性が高く、機能を言語化しづらい領域を主に司っているという立ち位置は重要な観点です。それに加えて、根源的に、人は自らと目的意識を共有しない別の何かの意思決定を、重要な局面では信じられないのではないか、という観点も重要だと思います。時間を遡りやり直すテクノロジーが存在しない中で、やり直しが効かないことを目的意識を共有しない別のものの判断に委ねるという選択肢を、人は採らないんじゃないでしょうか。
あとは人が持つ情緒性、ロマンというか、感情的あるいは社会的な欲求はやはり人にしか満たせない、という点も忘れてはいけない論点かと思います。例えば将棋やチェスについては、もはや人がAIに勝てない領域にまで技術は発展しましたが、人が努力し対戦を通して高みを目指す、というストーリー性に人は共感や感動を見出します。先日の藤井さんと羽生さんとの王将戦は高い注目を浴びました。藤井さんが最年少8冠を達成するのを見たい人はいても、誰よりも強いAI名人の誕生に感動する人はおそらくいないでしょう。
これらのことから、これからも必要とされる仕事の共通点について考えてみると、①社会性が高く、言語化しずらいもの(人間・組織運営)を取り扱うこと、②意思決定に携わること、③人の感情・心理的欲求を満たすサービスを提供すること、という共通点がイメージできます。これらの要素のどれかを満たす仕事は、経営者や将棋指し以外にも多く存在する印象があります。
今後AIの利活用によりサービスの開発や提供効率が高くなることで、より細かいニーズに応えることが出来ることから、更に多くのサービスと仕事が産まれることでしょう。そういった環境下で仕事を成功させていくためには、実際にサービスを必要とするユーザーとの接点をよくイメージし細かいユーザーのニーズを明確にすることと、それらのニーズを満たすサービスをクイックにデザインし、PoCができる創造力と行動力が求められます。そう考えると、ますます人の仕事はなくならないですね。ぐるぐる考えた上で、当面は遊んで暮らすことは出来なそうだなぁ、という結論に至った日曜日の朝でした。
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