平田弘史先生の構想ノート
昨日(2017年12月22日)、1年ぶりに平田弘史先生のお宅に邪魔した。先生は現在、『首代引受人』の新作のストーリーに頭を悩まされているらしい。いきなりストーリー展開の相談を持ちかけられた。先生の作品の作り方は、あらかじめ全ての逃げ道を塞ぐ作り方で、逃げ道とは作者にとっての逃げ道である。
首代とは、戦場で殺される寸前、相手に待ったをかけ、百両支払うから殺すのは止めてくれと命乞いをする首代手形のことである。戦の後、当然彼は手形を踏み倒そうとする。それを取り立てるのが首代半四郎で、金がなかったら首を切り落とすのだ。平田先生が創造したヒーローで、先生の代表作である。
先生が頭を悩ませているのは、「戦場で命乞いをすることは武士としての恥辱であるにも関わらず、なぜ彼は命乞いをしたのか?」という一点で、つまり「首代引受人」という作品の核心テーマそのものである。先生の話を聞くと、首代引受人は70年代から描いている長期シリーズで、過去、金を支払ったただ一回を除いては、すべて手形の発行人は金を支払おうとせず、悪あがきをして首代半四郎の刃に倒れたという。私が「払う金はないから首を持っていけという回はないのですか」と聞くと、「おお、それはまだ描いてないな。……しかし、それではドラマにならない!」
「首代半四郎が取り立てるのは命乞いをした金であって、依頼主は金が欲しいのだ。決して生首ではない。生首は腐るだけで、始末に困るだろう」「確かに」「すると、話はどうしても、首代引受人を返り討ちにして借金を踏み倒すか、それとも強盗でもして金を調達するか、ふたつにひとつだ」
手元に置かれている構想ノートによると、すべてのページに朱でバツが描かれてあった。思いついても一晩経つとバツになるのである。先生の作り方は、常に作品の核心テーマから思考を外さない。少しでも外れていると感じたらバツになるのだ。
これは大変なものを見た、と思った。これは講談社のために描こうとしている作品だが、講談社はこれをもう7年も待っているのだという。しかし先生は今、ご病気でペンが持てない状態である。「ペンが持てんから、こうしてひたすらストーリーを練っておるのだ。」