草彅剛のYouTubeに見る「業界」の境界線
草彅剛のユーチューブを登録して見ているが、まったく違和感がない。これからテレビとネットの違いがわからなくなるんだろうな。
https://youtu.be/bQkt70TTOTc
インターネットが出たときから今日の状況は予想できたが、これほど早い時期に出版や放送の技術水準がプロのそれと並ぶとは思わなかった。もちろんネットコンテンツは玉石混交で、お話にならないような素人のコンテンツも多い。しかし、凡百のプロを凌駕するようなものも多いのである。
「プロ」という言葉を私は「それで生計を立てる人」の意味で使っている。この場合プロは「業界人」と言い換えることもできる。業界とは「利益の回収・分配システム」のことで、普通「業界」に所属しないとその人は生計を立てることができない。
業界に所属するには、業界から認められる必要がある。芸能人なら芸能事務所に入る、作家なら出版社から自作を出版できることである。プロが憧れの目で見られたり、プロであることに誇りを感じている人が多いのは、選ばれた人間だからだ。しかしインターネットはプロと素人の境目を取り払ってしまった。
インターネットが登場するまでは、例えば表現で生活しようと思ったら、業界人になる以外にはなかった。初めに相当高いハードルを乗り越える必要があったのだ。しかしインターネットは、それまで業界の専売特許だった「発表の場」を開放し、利益の回収システムまで一般に提供するようになっている。
SMAPを離脱した草彅・香取・稲垣は、かつてであれば業界を追放されてタレントとしてはご臨終になっていた可能性があったが、ネットに活動の場を移し、なんの違和感もなく自分を露出させている。死んだのはタレントではなく「業界」の方なのだ。私はものすごい感慨深いものを感じている。
日本ではインターネットの現在を予言するものが以前からあった。コミック・マーケットだ。75年に始まったコミケは、既成の漫画界・出版界の「外側」で表現の発表システムを構築しようとする「アンチ業界運動」で、70年代カウンター・カルチャーの成功例のひとつだ。
70年代カウンター・カルチャーから生まれ、現在まで強烈な影響を与えたものがもうひとつあって、それがパーソナル・コンピュータである。パーソナル・コンピュータの重要な「思想」が、「素人にプロの技術を解放する」ことにある。
コンピュータ・テクノロジーの最大の成果がインターネットだ。インターネットが「プロの技術」を一般に解放し、それまで業界という「玄人集団」に属さないと実現できなかった事柄を業界外から実現できるようになった現状を見て、私がコミケに通じるものを感じても不思議ではない。