現状の外側へ
どうもこんにちは
まるやまです。
突然ですが、あなたの夢はなんですか?
幼い頃みてた夢はなんですか?
今回は自己紹介を兼ねた私のこれまでを綴っていきます。どうか最後までお付き合いください。
「あなたの夢について書きなさい」この言葉は多少ニュアンスが違えど多くの人は聞いたことがあるもしくはみたことがあるのではないでしょうか?
学生の頃、私の夢は「教員になること」でした。高校生のときの私からしたら、格別勉強ができたわけでもない私にとって「教員」というのは雲の上の存在でした。それでも憧れがあって「教員になりたい」という夢を持っていました。そして、大学へ進学して教育学部ではなかった私は教職課程をとり、通常の学部の授業の合間をぬって授業や課題に取り組んでいました。このときはただただひたすら目の前の課題をひとつひとつクリアしていくことで精一杯でした。そして、大学を卒業する前に学校への就職を決めて、晴れて「教員」になることができました。
それでもまだ教員として生活するにはさらに何倍もの努力(経験)が必要で、日々の授業の準備や仕事に対しての取り組み、忙しい中でも知識のアップデートをしていく必要がありました。この時は非常勤講師という形で働いていたので、いわゆる「教員」にはなれたけれども「教諭」にはなれてなかったのです。もちろん経験値のうんぬんではなく、雇用形態として、です。
それから数年間、学校で働いて経験もスキルもある程度になってきた頃、ふと「おれはこのまま教員になっていいのか?」という考えがよぎりました。たしかに教諭にはなれる。でもそれまで教員として働いていた私からしたら十分に現状の範囲内にある出来事だったわけです。
魔が刺したのでしょう。なにを思ったのか現状に満足せず、「海外で教員をやる」という方向へ向かっていったのです。そう、青年海外協力隊としての応募でした。
海外旅行へもほとんど行ったことないし、まして英語を話せるわけでもない私からしたら充分に「現状の範囲外」のアイデアであり、うまくやっていけるのかどうかなんて考えてもおらず、そもそも生きていけるのかどうか、そんなレベルの挑戦でした。
運が良かったのかタイミングが良かったのか、私は青年海外協力隊としてソロモン諸島という島国へ派遣され、現地の中学校高校で理科の教員として生活する日々が始まりました。
そこでの経験はまさに「オンリーワン」でした。だれもやったことがないような生活をして、仕事をして、日々を過ごすことができました。 それらの経験は私が日本で働いていた時には想像をすることもできないような現状の外側の風景でした。
そうして、協力隊をおえて日本へ帰国した時に突き当たる問題がありました。それは日本で教員として働くことはすでに想像の範囲内であり、現状の内側の出来事になってしまったのです。ただただ日本で働くことが怖かったのかも知れません。協力隊での経験を活かしきれるか不安があったのかもしれません。それでも日本で教員をやるということはその時の私には選択肢になかったのです。
そんなことを考えていた私にとって、「パラオの旅行会社で働く」というのお誘いは十分すぎるほど現状の外側へ導いてくれるきっかけでした。
教員しかしたことない私にとって、旅行会社という未知な業界で働くことや、パラオという日本とは違う環境で働くことが、どれだけキラキラして見えたことか。もちろん「やっていけるのかな」という不安はありました。しかし、それ以上に現状の外側に見える景色を見たいという欲の方が強かったのは事実です。
自分の今までを振り返って、これからの経験を考えてみると私という人間は常に自分が想像できる少し外側へ移動したがる傾向があるんだなと思いました。
良いのか悪いのかははおいといて、そういう傾向があるのは事実だなと思います。
私の夢はあります。今の現状の外側に見える景色があります。
それに向けて、今できることを少しずつ進めています。まあ、その話は別の機会にとっておきましょう。
ちょっとだけ長い記事になりました。ここまで読んでいただき本当に感謝感謝です。
これからもよろしくお願いします!
追伸:ブログやっています。青年海外協力隊の頃のこととか、海外生活のことについて書いています。